龍馬暗殺の黒幕は? 4説が混在 11日に高知市でシンポ(高知新聞・2017/11/11)

龍馬暗殺の黒幕は? 4説が混在 11日に高知市でシンポ(高知新聞・2017/11/11)


慶応3(1867)年11月15日、京都近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が何者かに襲われ、暗殺される。

事件から150年が経過した現在も、龍馬暗殺の黒幕は不明のままだ。

幕末史の研究者がその真相に迫るシンポジウムが11日、高知市高須の県立美術館ホールで開かれる。シンポを前に、龍馬暗殺を巡る学説を整理した。

シンポは、県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸)が龍馬と慎太郎の没後150年を記念して企画した。

暗殺直前の状況を整理すると、前月の10月14日に江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が二条城で朝廷に政権を返上する大政奉還が行われる。

龍馬は新政府の財政担当として見込んでいた福井藩の由利公正を訪ね、幕臣の永井尚志と毎晩会談するなど、新しい時代を見据えた動きを加速させていた。

11月15日夜、隠れ家の近江屋に見知らぬ男たちが侵入し、中にいた龍馬と慎太郎は深手を負った。
龍馬はすぐに亡くなり、慎太郎も17日に絶命する。

実行犯としては、当初は新選組が疑われたが、隊士らは関与を否定。
明治維新後に、同じく幕府の指揮下で京都の治安維持にあたった見廻(みまわり)組の今井信郎や渡辺篤らが暗殺を証言している。

見廻組説は現在も有力な説となっており、同館の三浦夏樹主任学芸員は「今井の証言は解せない点もあるが、犯行時の状況などがかなり具体的。暗殺を指示した黒幕が誰かが論点だ」と指摘する。

同館は「暗殺の黒幕を断定できる決定的史料はない」として、展示でも主要な説として幕府説と薩摩藩説、紀州藩説、土佐藩説の4説を併記。各説の暗殺の動機として同館では、「大政奉還の恨み」(幕府説、実行犯=見廻組)、「武力改革と平和改革路線の意見の相違」(薩摩藩説、実行犯=不明)、「いろは丸事件の恨み」(紀州藩説、実行犯=見廻組)、「大政奉還の手柄を龍馬に渡したくなかった」(土佐藩説、実行犯=不明)を挙げる。

三浦主任学芸員は「龍馬に近い海援隊士が紀州藩士を犯人に挙げ、襲撃までしているのが気になる」と、いろは丸事件で龍馬から多額の賠償金を取られた紀州藩の動向に注目する。
「見廻組隊士の兄で、京都で活動した会津藩士・手代木勝任(てしろぎかつとう)と紀州藩とは接触があった。直接的史料はないが、会津・紀州藩の指示という考え方もできる」と推測する。

シンポに参加する歴史作家の桐野作人(さくじん)さんは、幕府側にあった西郷隆盛らの襲撃計画を断念せざるを得なくなったため「その矛先を龍馬と慎太郎に向け、見廻組が実行した」と幕府説を主張している。 

龍馬の死後、龍馬が隊長を務めた海援隊は土佐藩の命で解散するが、「新政府綱領八策」や由利の新政府への登用など龍馬が提言した施策の一部は新政府で実施される。

龍馬記念館の高松清之館長は「龍馬暗殺を改めて検証し、龍馬の死を考えることで、幕末維新史を考え直すきっかけにしたい」とシンポへの参加を呼び掛けている。


<桐野さん講演>
11日のシンポでは、桐野さんが「龍馬暗殺の新視点」と題して基調講演。
その後、三浦主任学芸員や中岡慎太郎館の豊田満広学芸員らと、龍馬暗殺の黒幕をテーマに討論が行われる。
午後1時半~4時半。入場無料。定員399人(先着)。
問い合わせは龍馬記念館(088・841・0001)へ。








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