135.羽梨山神社探検記(笠間市:旧岩間町上郷)

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134.筑波山探検記で、筑波は波が着いた場所だから着く波だという説を紹介しました。さらに闇オカミが


避難のために船出した大分県の闇無浜からの連想で、羽梨は葉無で葉(加葉=加用=カガヨウヒメ=ミ


カボシに対応する女神=コノハナサクヤヒメ)がいなくなったから、ハナシではないかと推測しました。


あるいは三保の松原に代表される羽衣伝説の姫がいなくなったからかもしれません。


全景


拝殿



扁額


本殿の千木(内削ぎ)だが鰹木は三本

本殿


  

本殿正面の彫刻                    本殿側面の八剣輪宝(修験のしるし)


説明板


 

ご神木の杉                       社殿の向きはほぼ南 北辰信仰


茨城県神社誌より引用。


祭神:木花開耶姫

境内社:猿田彦神社(猿田彦命)


由緒沿革:創立年月不詳。延喜式内小社。上古日本武尊東征の軍、磐麻にて陣営を設営したところ、兵

士ののどが非常にかはき、その上食糧にこまった。ところが一片の山果をもった老翁と媼があらはれて

この難がすくはれ、兵士等非常に欣ぶ。尊は何人なるやとたづねられたところ、「磐筒男・磐筒女」の神

であった。

厚く報謝の誠をささげ、朝日丘に鎮祭したと云ふ。羽梨山の尊称を奉った。延暦二十年坂上田村麻呂陸

奥を征討の途、この神に奉幣武運を祈り、多大な加護をたまはって大任を遂行することができた。同二

十二年奉賽のため神殿二宇を建て、左兵衛督巨勢野足勅使となって大遷宮式を行った。大同元年に勅

を賜ふ。

貞観元年、菅原道真に勅して正一位羽梨山大明神の号を賜った。元慶二年小野春風この神に勅願して

神助を得、出羽の賊を平定した。太刀鎧神馬を奉って神恩を報謝した。

天慶の乱に平貞盛弓矢砂金を奉納して大いに神助をたまわった。天喜康平の乱にしばしば神威をあら

わした。源頼義・義家相次いで矛・太刀鎧及び神馬を奉納した。後略


玄松子さんのHPによれば、羽梨山神社と比定される神社はほかに数社あるようですが、われわれは


神社そのものの調査をしているのではなく、神代史を研究して、現在に及ぶ当時の権力構造を考察して


いるので、この神社が延喜式かどうかはまったく重要視してはおりません。


なぜならば延喜式を定めた平安時代は既にイカスリ劉藤原一族に牛耳られていたと考えているからで


す。


現在でも複数の著名人や作家などに自らを正当化するための、あたかも真実かと思わせるような都合


の良い情報を小出しに伝え、多くの本を出版させています。


八咫烏だとか京都筋という得体のしれない情報というのは、まずもって彼らの方策の一つでしょう。


日本神界とかの用語を使う人たちもその一味でしょう。


何のための方策かといえば、一般的にいう、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、儒


教、神道などのゾロアスター教が、平和で公平な(けっして底の浅い平等ではない)ミトラから奪取した統


率力(権力とかくのはミトラになじまないので)を正当化し、巧妙な身分制度を維持するためにほかなりま


せん。かくのごとくすべての宗教でわれわれは管理され、略奪されているのです。


われわれが重要視するのは祭神が木花開耶姫であり、神社名が羽梨山神社と呼ばれていることです。


木花開耶姫についてはこれまでに何度も書いているように、三日月姫であり、二十三夜さんであり、子


安神、胎安神です。生命の根源にかかわるミトラとしての女神です。


この胎安神という言葉は、裏に”絶やす”が含まれていることを忘れてはなりませんね。


元宮があったとされる難台山は、なんだいさんと読んでいるとのことですが、関東地方にいくつかある男


体山(なんたいさん)との関係性は無視できるはずはありません。


まず、難台山という文字を分析してみましょう。


白川静先生の『字統』によれば、は火の矢で鳥(隹)を打つ象形か、などと解説されていましたが、白


川先生ですらはっきりとした定義は難しいようでした。


われわれはすでに「難」にサンズイの着いた「灘」について、wikiの説明「沖合いの中で波が荒く、潮


流が速いところを指す。」ことから、速吸(速水、早水、走水)であり、インドのドラヴィダの女神ミ-ナーク


シ(Minaksi)由来のものと考えています。


(詳しくはリンク→宮古の縁側日記57 龍族 櫛稲田姫参照)


minaは魚、aksi→actionで、魚のようにすばやく動くさまが女神の象徴であったから、クシナダヒメは


アクション・ナダ・ヒメであり、その意味を考えれば、百嶋資料で瀬織津姫(流れの早い川の姫)と同神と


している理由となります。


その子である長髄彦がトミノナガスネヒコと呼ばれるのはクシが九四になり9+4=13(トミ)だからであ


り、クナト神はアクト(ACT)の転訛であり、竈神(かまどがみ=オクドさん=OCT=ACT)になります。


もう一人の子、双子の妹コノハナサクヤヒメは三日月姫で十三夜月とは表裏一体になっていることは、


リンク→番外27."甕"の語源は雲母(mica)だった

で詳述しています。


次に台についてですが、台は臺であり臺(うてな)とは子宮です。


(詳しくはリンク→宮古の縁側日記51 龍族 臺(うてな) ①~④参照)


高松塚古墳の発掘の試し掘りで明らかにされたひたちなか市の虎塚古墳の玄室は、明らかに子宮を表しています。

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したがって、難台山とはミトラの継承者である女神を祀る山という意味になるのです。


御嶽山(おんたけさん、みたけさん)と同じ意味を持つことがわかります。


この難台も台が子宮を表すから、正統派の子孫が生まれないようにとの呪術でしょう。言霊に呪いを込めたと考えられます。


あるいはまた、水子とされ葦舟で流された蛭子つまりエビスである事代主=少彦名が産まれた場所を暗示している可能性も考えられます。この例えは、もちろんモーゼの

謂れを含んでいることは言うまでもありません。


では男体山はどう解釈すればよいか?


難台山と同じような読み方をさせていることが、真実を隠そうとする井カスリ劉一族藤原氏の陰謀である


ことは明々白々ですね。「鴨ネギ」はもともといわくらだった祭祀場所に神社を建立します。その意味で神


社の建物はすべてといってよいほど、どうでもよいものになるかもしれません。


しかしながら、記紀の編者のなかに、柿本人麻呂らの真実を残そうとした勢力が存在したように、神社


の様式(神紋や彫刻、方向、千木)や由緒のなかに真実を隠しこんでいたと考えたから、神社考古学は


成立するのです。


真実はミクロンのすきまからでもこぼれ落ちてきます。


証拠の一つとして「男」という文字について記しておきましょう。


白川静著『字統』より引用


【男】

田と力に従う。力は耒(すき)の象形。農地の田と耒とを合わせて工作の事を示すが、古い用法では農地

の管理者を言う。

中略 

一般に男子は、詩編では士といい、士女と対称するのが例であった。士は戦士階層のもの、男は耕作地の管理者を意味する。下層の男は夫といい、おおむね農夫であった。その管理者をのちには大夫(たいふ)といい、卿(けい)・大夫・士のように士の上に位置するが、氏族員たる戦士階級が没落して、濃度の

管理者である大夫の地位が、政治的な階級に高められたのである。男は大夫の古称とみてよい。


だから草部吉見(海幸彦=タケミカズチ)が吾田村主(あたのすぐり:百嶋先生は村長さんと表現していま

した)程度なのです。


彼を祀る鹿島神宮や山幸彦=ニギハヤヒを祀る香取神宮はかの時代神宮を名乗ることができ


藤原氏の氏神とされる春日神社の祭神になったことは、典型的な女神隠しと判断できるのです。


女神とは、コノハナサクヤヒメでありイヨです。


伊勢神宮の外宮が豊受神=コノハナサクヤヒメであるから、内宮はイヨであるべきなのでした。


しかしこれにも裏があります。外宮正殿の千木は男千木(外削ぎ)ですから、イヨの夫、ミトシであるべき


でしょう。


伊勢神宮はイヨを封印する神社です。ことばを変えればミトラや縄文を封印すると言ったらよいかもしれ


ません。


筑波山のようにツインピークスの場合は男神としてもよいのですが、単独峰の男体山は決して男の神を


祀る山ではないでしょう。


ヤマトタケルに名乗った磐筒男と磐筒女は百嶋系図では、大幡主と埴安姫の兄妹にしてありますが、す


でに何度も示しているように、大幡主は金山彦(アタゴ神=waterの子神)を隠すための別名で、系図で


言えば、ヤマトタケル=安曇磯良から4代前の金山彦と埴安姫となります。


面白いことに、磐筒男はイワツツオ→ウワツツオと転訛したとも考えられますね。


ウワツツオは安曇磯良ですから、新解釈系図でいえばヤマトタケルそのものになります。


ちょっと高度なスピ系での説明をするならば、ヘミシンクで言う「I・THERE(別な世界の自分)」・守護霊と


考えても良いでしょう。守護霊とは進化した自分だったのです。絶対他者的な神など存在し


ません。いい加減目覚めなさい。(笑)


過去から未来へ、なんていう時間の概念は幻です。ですから今のあなたが変わることによって、過去が


変わるということもあり得るのですよ。


最後に、境内社の猿田彦神社は本来賽の神=岐(クナト)神である長髄彦を、神話でもそうしているよう


にヤチマタの神としての猿田彦に置換してしまったものと思われます。


百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


  
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