仲宿八幡宮

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やはり帆柱山には神功皇后の逸話が多く残っているようです。

仲宿八幡宮 御由緒

 

御祭神 本座

足中津日古命(たらしなかつひこのみこと) 仲哀天皇
品陀和氣尊 (ほむだわけのみこと) 応神天皇
息長足比賣命 (おきながたらしひめのみこと) 神功皇后
相座

建速須佐之男命 
    奇名田比賣命 大己貴命 伊古奈姫命 事代主命
相座

大綿積神 
    菅若神 崇徳天皇 高オカ神 闇オカ神 宇氣持神 大禍津日神 奧津嶋比賣命 大地主神 
    麻生比賣命 大山津見神 伊豆能賣命

 

御鎮座 由来

今を去る事一七〇〇年余の往昔、第十四代仲哀天皇の御后、神功皇后は筑紫の香椎の宮でお幽れなされし天皇の御代りに、皇子(後の応神天皇)を御腹にみごもられ乍らも軍臣の動揺を考えられ、天皇崩御の御事を秘匿し、男装をして三軍を率いて九州騒乱の源、新羅征伐に出征せられたり、この間北九州を中心に動き給い、苦節の末三韓を従え給ふ。
 ここに神告ありて「三韓を従えども行先謀反の者あり、厚く慎み給へ」と。然るに現当宮の地に中やとりし給いて豊山の宮を造らしめ給い、皇后御自から仲宿(なかやど)にて忌み慎しみ斎籠し給いて、豊山の宮共々に皇祖の神の御教のまゝに天神地祇を祭り給う。事無く皇后大和に御帰還の後、この仲宿の地の祭祀を行い奉りし祭場に、村人等祠を建立し、産土神(うじがみ)とし奉り、幾度となく社を増改築、殊に大内氏、麻生氏、近世に至りては黒田氏の崇敬篤く今日に至り、現社殿は昭和三十六年に御改築す。

祇園本宮 由来
 元久二年(一二〇五)花尾城主麻生氏社殿を営む、代々麻生氏、黒田氏、井上氏深く尊敬す。八束髪神社と称しこの郷内(八幡区及遠賀)の祇園社の本宮なり。
祇園原の地に近年当社に合祀。近隣祇園祭の大本源なり。
 
 (境内 仲宿八幡宮 御由緒より)

三韓征伐の後の話です。

牛守神社御由緒

 

御祭神

天之御中主神

跡田狭吾七命

おさよ命

 

今からおよそ二百年前、豊前の国下毛郡の一村に、狭吾七(沢七)という若者がいた。

彼は庄屋の家に育ち、早死した父の後を継ぎ、母と二人暮らしをしていた。

飢饉の続く中、増税の命を受けた彼は、農民の窮状を訴えようと思ったが

「お上の命に背くとは。みせしめのため打ち首か、所払いにする。」そんな情報が伝えられ、母や村人と相談し、一時、村を離れる事を決心し、役人の追ってからのがれる為、筑前の国、前田の里の一百姓家にかくまわれ、村人のあたたかい手当てを受けた。

そのころ、当宮、北側の観音堂に、巡礼途中という、おさよという美しい娘がいた。

前田の若者の人気の的となっていたが、いつしか同じ境遇の狭吾七とおさよは恋仲となっていった。 他所者に彼女をとられてなるものかと当宮夏祭りの夜、若者の数人は彼を前田海岸につれ出し、牛にひかせて海岸を走り、松の木にくくりつけ たいまつの火まで放った。

死に至るとは思わなかった若者は逃げ去った。 いとしい狭吾七の死を知った、おさよは生きる力を失い「せめて あの世で一緒に」と後を追ってしまった。

彼の死後、この地区には忌日ごとに火災が発生し、牛が死んでいった。「これぞ狭吾七の怨念ぞ」と、村人はこぞって二人の霊をとむらい社を建てた。それからというもの怪火、疫病が亡くなった。

昭和二十八年前田海岸の「和井田権現」を八幡製鉄所の庇護のもと当社に遷座し台良の里にあった牛守宮と合祀し、牛守神社として祭りをつづけ、火災除け 厄難除け 恋の結び神として神威を高め今日に至る。かの有名な北原白秋も「鉄の都」と題する詩を、二人をしのびて歌う。

その歌と踊りは今も伝えられている。

 

この境内社には悲しい物語があるようです。

 

稲荷神社と他の末社

 

 

 

 

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