朴市秦田来津(えちはた の たくつ)・古代の偉人

朴市秦田来津(えちはた の たくつ)・古代の偉人

?~663

豪族

朴市秦造田来津

系譜関係未詳

『日本書紀』によると、645(大化元)年の古人大兄皇子の謀反に加わったが、吉備笠垂の裏切りによって失敗し、皇子は殺された。

しかし田来津は討伐されずに、逆に中大兄皇子に用いられていることから、古人の事件の性格が知れる。 

この後、田来津は百済の役に際して、662(天智元)年に小山下の位にあって兵五千を率い、百済王子豊璋の帰国に従って百済へ渡った。

同年王位についた豊璋と鬼室福信は都を山害の地である州柔から、平地で農業生産力の高い避城へ遷そうと議したのに対し、田来津は避城は敵に近く平地で守るに足る地ではないとして反対したが、容れられなかった。

しかし、二カ月後には避城では新羅の攻撃を支えきれず州柔に戻り、田来津の言うとおりとなった。663(天智2)年には、白村江における唐水軍との会戦に大敗し、ついに戦死した。 

なお、田来津の系譜関係は不明だが、八、九世紀の近江国愛智郡の売券には依知秦公が郡司などとして頻出しており、田来津と関係があると考えられる。(日本古代史人物事典 (新人物文庫)




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