慧聡(えそう)・古代の偉人

慧聡(えそう)・古代の偉人

6~7世紀

百済の僧

恵宿・恵総・恵忩

系譜関係未詳

崇峻紀元年(588)条に百済からの渡来僧として「恵」と「恵宿」の名があり、同人と考えられている。 

一方、推古紀3年(595)条に百済僧「慧聡」が来朝し、慧慈とともに仏教を広め三宝の棟梁と称されたとあり、翌年条には慧慈とともに竣工なった法興寺(元興寺)に住したとある。

他方『元興寺伽藍縁起幷流記資財帳』には戊申(588)年に百済からの渡来僧として令照律師の「弟子恵忩」とあり、さらに同帳所載の塔露盤銘にも戊申年渡来百済僧として「恵聡法師」が見え、同じく丈六釈迦光背銘には「百済恵聡法師」が恵慈・蘇我馬子長子善徳とともに領となり、元興寺を建てたとある。 

これらより『元享釈書』など後代の伝に混乱があり、同人説と別人説がある。

また『釈日本紀』所収「伊予国風土記」逸文に法興六(596=推古4)年に聖徳太子(廏戸皇子)に随い夷与村に逍遥したとある「恵総」「恵忩」は、慧聡とも慧慈の誤りともいわれている。 (日本古代史人物事典 (新人物文庫)


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