川上神社

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神功皇后の三韓征伐の際に関係が深いと思われる神社が立花山の麓に存在します。

川上神社

この楠は共に樹齢400年と伝わります。

数多くの末社

川上神社

 

川上神社は、もとは旧立花村、村社川上宮と称し、皇族の崇敬が、原上区、三代区の産土神です。その由緒は二つの言伝えがあります。 1つは筑前国続風記拾遺集によると「当社は川上明神と称し、香椎宮の末社として神輿を渡され、香椎宮の大宮司が参拝の為原上の神功屋敷(現在の皇后屋敷と称す)に宿泊し、貢物を奉納するのが慣習になり 今日に至る。」とあります。又川上宮縁起に依れば「神功皇后の三韓征伐の際、妹の豊姫の御助力を得て、幾多の戦功をを上げ凱旋されたその後、延長元年)川上大明神として原上、三代両村の隈の権現社を合祀し現在に至るとなっています。

昔は、壮大な神殿があったのですが、度重なる戦乱によりほとんどを消失し、現代の神殿は、昭和十年に新築工事がなされているものです

境内には楠 杉 槇の大木があったものですが、今は、大楠が二本残るのみです。

 

祭神

豊玉姫命 玉依姫命 神功皇后 伊弉册命 速玉男命 事解男命

例祭日 九月十日

新宮町教育委員会

(案内板より)

川上明神というと頭に浮かぶのは、佐賀大和の肥前一之宮與止日女神社です。

祭神は豊玉姫で一説では川上タケルの妹とも云われています。

 

朝倉の大己貴の松尾芭蕉の歌碑には「川上と  この川下や  月の友」と詠っている川上とも関係があるのでしょうか?

当社にて重き神宝とす其趣は縁起に委し、移転天正年中と云伝ふ。縁起又曰く、本社の西南小川を隔て丘あり、広平五反余字を聖母屋敷と云ふ是其地なり、古は社ここにあり後神託に依りて今の所に移すといふ今も其跡に小祠あり云々。東の方に古宮山の口と云ふ所ありて祠あり、是も斎宮の古宮なるよし云伝ふ。按ずるに東の方の古宮は神帰の大神たちを祀り、西の方は聖母大神を祀りたるを後今の大裏山に両社の神併せ祀りたるものならん。当社古へ大社の時川原村天神社を旅所として神幸あり、川原村は小山田村の枝郷なるよし、明治五年十一月三日村社に定めらる。

現在神功屋敷と云われる場所は二ヵ所 どちらが本当の神功屋敷なのでしょうか?

江戸時代、黒田藩お抱えの学者だった貝原益軒が「筑前国続風土記」の中で次のように述べています。「聖母屋敷 久山の上山田村にあり 其所に 神功皇后の御社あり 是 神功皇后斎宮の跡なるにや」。

 


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