恵隠(えおん)・古代の偉人

恵隠(えおん)・古代の偉人

七世紀前半

遣隋使の中の学問僧

志賀漢人(しがのあやひと)恵隠

系譜関係未詳。近江の志賀の渡来系の漢人か

六〇八(推古十六)年に隋の使裴世清を送る大使小野妹子らとともに学問僧として渡隋した。

妹子等は翌年帰国したが、恵隠はそのままとどまっていたらしく、639(舒明11)年に新羅の送使に伴って帰国した。

翌640(舒明12)年には無量寿経を講説しているが、同様の記事は652(白雉3)年にも見え、重出とする考え方もある。

652年の方は内裏において恵隠を講者とし、恵資を論議者とし、無量寿経を法門問答したという内容になっている。

無量寿経は浄土三部経の一つで、阿弥陀仏の因行・果徳と衆生の極楽往生を説いたもので、後に日本の浄土教の根本聖典となったものである。

斉明朝の作と考えられている西琳寺阿弥陀仏の光背銘の中にも、無量寿経らしきものの一部が見えるという。

なお、ここからは宮内に仏教的施設が存在したことが推定できるが、現在発掘により確かめられている宮とどう符合していくのかは今後の課題となろう。(日本古代史人物事典 (新人物文庫)



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