相場師列伝 蓮沼安太郎氏 北国の最大手、豪快で徹底調査 (日本経済新聞・2017/8/19)

相場師列伝 蓮沼安太郎氏 北国の最大手、豪快で徹底調査 (日本経済新聞・2017/8/19)


コメ相場が最も盛んだった大正時代、蓮沼安太郎は「北国の最大手」「徹底調査の蓮沼」としてその名がとどろいていた。

「富山が生んだ仕手蓮沼氏は北国随一の仕手として自他ともに許したことは米界ではあまりにも有名な話である。氏が米界に華やかなりしころの一挙手一投足は少なからず市場を左右した。正米相手にやる採算筋の出動とはわけが違う。堂々たる張り方である。今どきの米界にはこんな張り方は通るまいが、正米を相手の相場としては、なかなか素晴らしいものがあった」(青江治良著「仕手物語」)

引用文中の「正米相手の採算筋」とは現物米市場でのサヤ取り筋のことだが、蓮沼はサヤ取りは大きらいで、思惑一本で勝負する。そして大局観に立っての出動だから、2年でも3年でも買い続けるというタイプ。

目先の小波動には目もくれず、近未来の市場の流れを見詰めて戦うから市場周辺では人気がある。

「蓮沼立つ」との情報が伝わるとチョウチンが付く。蓮沼の力は倍加する。

富山からは安田善次郎、浅野総一郎という2人の巨豪が出ており、ともに市場でもうけた金をタネ銭として財閥に発展していった。蓮

沼は両氏には及ばないが、500万円(昭和6年1月、全国金満家大番付)の資産を誇る。また所得税の納付額は2万6520円で富山県下で2、3位にランクされる。

現在の価値に直して100億円からの資産を有し、3年後、昭和9年1月現在でも500万円の資産はびくともしない。ちなみに浅野総一郎は資産1000万円を堅持する。

まず資金面に不安がないから戦い方にも風格がある。

「大局張りの名人蓮沼氏は見込みが立てば2年でも3年でも同一方針で貫徹するという風格で、それに念が入っている。つまらぬ名誉心や売名目当てで相場は張らぬ。確たる材料がなければ張らぬ。世にまぐれ当たりの相場もあるが、やっぱり念には念を入れた方に耐久力がある。大局張りにはアリの穴ほどに細心の注意が肝要である。だから氏は出動前の準備時代というか、相当細密の調査をやる」(同)

蓮沼の念入りな調査は業界でも定評がある。

作柄の豊凶、需給、在庫はもとより一般経済界の動向や世相の変遷までも調べる。ありとあらゆるものを調査し、水ももらさぬ大方針のもと、やおら出陣する。いったん出動してからも調査は続く。

相場の動きやアヤによって売ったり、買ったり、踏んだり、投げたりを繰り返すうちに相場の大局、大きな流れをつかんでしまうのだ。

「その辺の相場師が及ばぬほどの手腕を持っている。吟味したあげく、これならばと確信がつけば、チャンス逸すべからずと腰を入れる。その時は呼吸もつかず、生一本の調子で進む。それほどの大局張りで同一方針を2年も3年も続ける氏だが、決して受け渡しはしない」(同)

蓮沼は現物の受け渡しをしない。見込みが外れて買い建玉が損勘定になると、現物を引き取って、将来の値上がりに賭ける相場師は多い。つまり延長戦に持ち込むわけだが、蓮沼は納会一本勝負で、延長戦はやらない。

大正コメ騒動のころは蓮沼も当局から狙われ、新聞ダネになったこともある。それだけ大きな売買をやり、チョウチンが付いていた証拠だが、昭和に入ると売買も小さくなってくる。それはコメ相場が統制色を強めてきたからだ。昭和14年には全国の米穀取引所は閉鎖に追い込まれ、蓮沼安太郎の名も次第に忘れられていく。

だが、コメの自由経済時代、「北国の最大手」として蓮沼安太郎の豪快かつ徹底した調査の上に立つ相場師として活動した記録は不滅である。

信条
・人となり堅忍不抜、剛胆にして自信力に富み、商機をみること敏にして、その神算鬼謀は人の意表をつく(大正人名辞典)
・事前調査を徹底、大局観に立って大局張り
・虎穴に入らずんば虎児を得ず(仕手物語)


(はすぬま やすたろう 生没年不詳)
富山県出身、明治後半から昭和初めにかけて北陸地方最大のコメ相場師。
大正2年当時、高岡米穀取引所の仲買人。昭和6年当時の資産は500万円を有し、所得税の納付額は1万3000-2万6000円で富山県下で2.3位。



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