阿部信行(あべ・のぶゆき)・石川の偉人

阿部信行(あべ・のぶゆき)・石川の偉人

石川県金沢市生まれ。

明治8年(1875)11月24日-昭和28年(1953)9月7日 77歳

大正・昭和時代の軍人、政治家。


明治8年(1875)11月24日金沢藩士阿部信満の長男に生まれ、東京府立一中から四高に進んだが、日子戦争に刺激されて陸軍士官学校に転じ、明治30年11月卒業(第9期)、翌年6月砲兵少尉に任官した。

明治40年陸軍大学校に優等で卒業。参謀本部に配属され、ドイツ留学、陸大教官、参謀本部の課長・部長と順調な昇進を続け、大正15年(1926)陸軍省軍務局長に転じて以来軍政畑に移り、昭和3年(1928)陸軍次官に昇進、宇垣陸軍大臣が病気療養中は、一時陸相代理を勤めた。

温厚・円満な性格で、軍制事務に長じ、昭和初年に陸軍部内を二つに割った皇道派と統制派との派閥抗争の圏外に立ち、重臣・政党・財界方面との関係も良好であった。

その後、第四師団長を経て台湾軍司令官在任中の昭和8年6月陸軍大将に進級、軍事参議官に移ったが、二・二六事件後の粛軍人事で陸軍長老としての責任を負って辞職し、昭和11年3月予備役に編入された。

昭和14年8月30日大命降下により平沼内閣のあとを受けて、阿部内閣を組織したが、比較的リベラルな傾向の閣僚を起用したため、陸軍は内閣を保守勢力の代表と見なして協力せず、「木炭自動車」といわれた弱体内閣となり、四ヶ月余の短命で米内内閣に代わった。

その後、汪兆銘政権(南京政治)成立時の中国特派大使、翼賛政治会総裁を経、昭和19年7月最後の朝鮮総裁に任命され、任地の京城で終戦を迎えた。

武将をしての戦運には恵まれず、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵のいずれにも参戦せず、金鵄勲章を持たない唯一の陸軍大将といわれた。

昭和28年9月7日没。77歳。(日本近現代人名辞典) 


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