130.三峰神社探検記(埼玉県秩父市三峰)

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今回は秩父三社の一つ三峰神社です。


秩父三社とは、三峰神社、宝登山神社、秩父神社です。


宝登山神社は昨年秋に探検していますので、今回は残りの二社を廻ることになりました。


三峰神社はとても山深いところです。山育ちの私でも圧倒されるほどの深山です。


 参道からの風景


遡ること2ヶ月前、昨年秋に一緒に宝登山神社調査に行った九州の研究者の方から電話が入り、「今、


三つ鳥居の事をまとめているのだけれど、関東にも三つ鳥居があるので、写真を撮って来ていただけま


せんか?」とのこと。


以前にはこちらからも、大分は国東半島の両子寺の資料をお願いしたことがあったためと、三峰山の最


近の人気度の高さから、ミーハー心が鎌首をもたげたことが、片道5時間をかけて日帰り調査する理由


だったのです。それにしても奥茨城から秩父は遠いです。


さて、三つ鳥居ですが、百嶋神社考古学では、殷鳥居と呼び、最古の鳥居形態だとされています。


「菅原道真の先祖神は何か」     2012年1月21日講演 「肥後翁のblog」より引用


日本の鳥居の原点はどこにあるか。福岡県築上町吉冨町八幡古表神社に行きますと、日本の鳥居の原点はどこにあるかの話が必要となってきます。これは殷の鳥居です。紀元前3000年以上昔、中国大陸に殷という国がありました。この殷の鳥居がこれです。この鳥居、すなわち、吉冨町の八幡古表神社の鳥居です。この鳥居が、他にもどこに残っているかというと、秩父、石灰石がたくさん取れるところがあります。

イザナギ、イザナミが鎮座しておられます。これと同じ鳥居です。茨城県の筑波山もこれです。奈良県の

檜原神社もこれです


「殷鳥居」の画像検索結果

殷の鳥居


WIKIから引用


三ツ鳥居(みつとりい)は、鳥居の様式の1つである。三輪鳥居(みわとりい)ともいう。

1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたものである


三ツ鳥居のある主な神社は

三峯神社 (埼玉県秩父市)

美和神社 (長野県長野市)

三輪神社 (愛知県名古屋市)

大神神社 (奈良県桜井市):三ツ鳥居の形式ができた年代や由来については不明である。なお、三輪山山中の禁足地にある三ツ鳥居は重要文化財に指定されている。

檜原神社 (奈良県桜井市) - 大神神社の本社周辺にある摂社

坐摩神社 (大阪府大阪市)

白峰宮 (香川県坂出市)


その他に九州の古要神社、古表神社、八幡古表神社などにも見られるようです。

三峰神社の三ツ鳥居


  

狛犬は狼


中山間地の当地では、子供のころは遊びといえば山に入ることで、春には山菜(わらび、ぜんまい、の


のひろ=のびる、もち草=よもぎ)採り、夏にはかぶと虫やクワガタ取り、秋になればアケビ取り、山芋


ほり、冬には親と一緒に、堆肥にするための「木の葉さらい」、あるいは目的もなく歩きまわったり、藤の


つるでターザンごっこをしたりしていたことを思い出します。


そんな時、裏山に登っていくと、小さな祠があり、キツネの置物が置かれていました。


恐る恐る中をのぞくと三峰神社のお札があり、青っ洟をたらしたみそっ歯の子供の頭には、ミツミネだか


らキツネメ(当地では動物や虫の語尾に「メ」をつけて呼ぶ)を祀っているのだろうと記憶されてしまいま


した。(笑)


三峰神社の狛犬は狼(大神)で、キツネでも犬でも見た目の違いはそれほどありませんから、まあ良しと


しましょう。祠を祀った「三峰講」の信者は狼の置物がないので、キツネで代用したのかもしれません。


裏山は背戸山とも言いますが、斜面を開墾した畑(自然所)があります。昭和40年代前半までは背戸山


は山間地においてはまさに生活の一部でした。


その後は現金収入確保のため、役場や農協や郵便局に職を得られなかった、生真面目だけれども「学」


もコネもない中山間地のおとっつぁんたちの多く(真の地元民、あるいは山の民)は、近くに工場などはな


いので、日雇い建設労働者(土方)になるしかありません。


なぜカッコ内の注釈をいれたか、は江戸時代末期や明治初頭に「商売」をするために移り住んだ、公金


からの補助金を利用し業を起こした「政策」の実行者あるいは権力者の「手足」が「村」のお大尽様として


財力を誇示していたからです。その時代には「博打」が流行し、田畑、山林はずる賢い「移住者」によって


「いかさま博打」巻き上げられた実態が田舎では多く聞くことができます。


いかさまという言葉は含みがあります。イカツオミ様がいかさまの語源かもしれません。つまり鴨ネギ軍


団のことをパンピーが揶揄したという意味です。


さらにおっかさんたちも例外ではありません。毎朝、建設会社のダンプの荷台によじ登り現場へ向かって


いました。ダンプカーの荷台から、通学するわが子に向かって手を振るのでした。


急斜面を開墾した猫の額ほどの畑でコンニャクイモとタバコを栽培するよりは、ダンプ出勤の方がはるか


に経済的には楽になります。


なかには、ウチの父親のように、出稼ぎで首都圏に職を求めた人たちも多くいます。


これより20年ほど遡れば、戦後まもなくの木材不足による営林署主導の針葉樹の植林。


伐採する50年後には何百万円になるとの甘言で、雑木を伐採し杉や檜を植えます。50年経った今の


杉材一本の相場は、道の駅で買う大根一本の値段とそれほど変わりません。これを国家的詐欺と言わ


ずして何と言いましょうか。山から買う値段は安くなっているけれども、建築材の価格は値上がりしてい


ます。


そして日本列島改造時代。手入れをしている時間がないから「開墾」にも杉、檜を植林します。


その延長上に里山の荒廃、イノシシなどの害獣被害、山崩れの問題があります。雑木林が極端に減少


したことにより、山林に野生動物の食糧が無くなったことや、保水力の低い針葉樹になってしまった事


が原因なのです。温帯モンスーン気候の傾斜地には針葉樹は不向きなのです。九州の大水害の遠因


です。


利便性が向上するとともに、お金が必要な社会に変遷したことも原因の一つです。


薪からガスへ、沢水や井戸水から水道へ、有線電話から農集電話そして個別黒電話へ。


NHKの受信料。高校、大学への進学率の上昇。どんな田舎でもお金がないと生活できなくなってしまい


ました。


現在ではさらに拍車がかかり、田舎での生活でも、健康保険料や介護保険料など税金の比率が急上昇


しているため、田舎暮らしもひどくなるばかりです。


国民年金の支給を75才からにしようとしたり、死亡税まで導入しようとしている政府はやっぱり国民を


なめきっています。なめきられるのは、それでも似非自民党を支持するからにほかなりません。


今の自民党は田中角栄のいたころの自民党とはまったく異なります。当時はまだ政治家は「日本人」で


したが今の自民党を牛耳っているものは「反日右翼」日本会議」です。戦前復古主義者です。明治維新


で東インド会社の駒となって働いた、主に長州のイカスリ劉一族の末裔どもと戦前に日本国の一部だっ


た半島の両班の子孫どもが跋扈しているのです。彼らは同族です。記紀や三国史記を創作した一族で


す。


既に日本には高天原はありません。半島のコリョンに移されています。移した連中が裏で画策している


のは見え見えです。もっともこれは古代の同じようにイカスリ劉一族の仲間割れなのですが・・・。


日本人の、日本人による、日本人のための政治を希望するところです。

 


さて神社です。


WIKIから引用

 

社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を

 囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆国に流罪になっ 

た役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。

 三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。 

熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。

 中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。養和元年(1182年)に、秩父 

を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小

 鹿野町両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士 

の信仰を集めて大いに栄えた。しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・

 義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退した。 

文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜った。以後は聖護院

 派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた。以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「 

菖蒲菱(あやめびし)を寺の定紋とした

 江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。



神門

 パワースポットのご神木に触れるために行列。5,600年程度の太さです。(新しい)

 

 本殿



本殿脇に並ぶ境内社群


  
 境内社の一つ日本武神社の扁額             ヤマトタケルの像

  
狛オオカミ1                         狛オオカミ2


神紋のアヤメ菱





 奥宮遥拝所から見る妙法ヶ岳


なぜ狛犬がオオカミなのかは種々の説明がありますが、一般的な神社のは狛犬とはいえ獅子に見えま


す。そういう意味では三峰神社のオオカミの方がより狛犬に近いとも思えます。


われわれ探検隊的にはイヌについてもっと大切な意味が込められていると考えています。


つまりイヌ姫=イヨ(ワカヒルメムチ)との関係です。大どんでん返しの予感!


さぁて次は筑波山神社を探検しなければならいようです。


百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


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