首都邪馬台国と其の余の旁国を併せて、倭国=女王国連合を構成する三十国

歴史ランキング

【反時計回り連続説】(その17=最終回)

 

前回までに連続する二十一国のすべてを比定完了しましたが、

まだ倭国=女王国連合の全体像は完全には解明されていません。

 

残るは首都・邪馬台国で、私は(やまと)国と読み、既に筑後山門に比定しています。

しかし、肥後山門もあります。弥生時代に筑後と肥後の区別は無かったはずで、

筑後と肥後の二つの山門(やまと)国は両方共に【邪馬台国】の領域と考えられます。

 

これで連続する二十一国に、

帯方郡から邪馬台国へ至る道中に在る、

對馬国、一支国、末蘆国、伊都国、奴国、不彌国の六国を足して、

重複する奴国を引いて、首都邪馬台国を加えたら、

倭国=女王国連合を構成する小国数は計二十七国となります。

 

しかし『魏志倭人伝』には、『今使譯通ずる所三十国』と記されます。

すると三国足りないことになりますが、過去の研究者はこの二十七国に、

投馬国を加え、奴国が二つあったと見做して重複して数え、

更には狗邪韓国、又は狗奴国を加えるなどして、三十国に数合わせしています。

こうなってくると、最早『魏志倭人伝』に名前の出てきた国は、

全て使役通じる所に使われている状態ですが、

当時魏に貢献した倭の王は倭女王卑弥呼のみですので、

使譯通じる所三十国は全て倭国=女王国連合の構成国でなければなりません。

 

私は、二度記された奴国は同じ国だと考えており、

幾ら狗邪韓国に倭人が住んでいたとしても、狗邪韓国は倭国の構成国ではありません。

狗邪韓国はその名のとおり、韓国を構成する国のはずです。

『魏志韓伝』によると、弁辰24国(或いは26国)の中に、弁辰狗邪国と記される国が、

『魏志倭人伝』の狗邪韓国だとされており、弁韓を構成する国だと考えられます。

 

ましてや倭国の敵国である狗奴国を貢献国に加えることは無理筋です。

敵国の狗奴国が卑弥呼の使者と共に魏に貢献する国であるはずも無い。

 

そして問題の投馬国ですが、私は投馬国は、

薩摩(さつま)国が殺馬国(蔑字)、更には投馬国(略字)に変化したと考えています。

現在も鹿児島県が薩摩(さつま)国とされるのは、地名の残存があると思われます。

すると敵国の狗奴国より更に南に在る投馬国が倭国の一員たり得るでしょうか?

これは一応何らかの協定が出来れば有り得る話でしょうが、

地域連携が強かったであろう弥生時代にはそんな協定は成り立ち難かったでしょう。

 

やはり投馬国は倭国の一員に有らず、どちらかと云えば狗奴国の一員と考えられます。

それは時代が下った後に、狗奴(球磨)国と投馬(薩摩)国は、共に熊襲・隼人として、

倭国の後継である大和朝廷から敵視される存在となっているからです。

元々北九州の倭国と南九州の熊襲・隼人では、民族がいくらか違っていたのでしょう。

 

以上、第二の奴国、狗奴国、狗邪韓国、投馬国は

倭国=女王国連合の構成国とは考えられないわけです。

すると倭国の構成国三十国の残り三国はどの国のことでしょうか?

考えられるのは其の余の旁国だと思われます。

 

 

上記地図を見ると、大分県の領域には、未だに二つの未比定領域があります。

その他の倭国内の領域は連続する二十一国及び邪馬台国へ至る国々で埋められてるのに、この地に空白領域があるのは今一つすっきりしません。確かに国が有ったはずです。

もしこの地にも国が有るのなら、伊都国で『倭国報告書』を書いていた帯方郡使が、

伊都国から遠く離れており、詳しいことが解らないこの地の国々に関して、

「遠絶にて詳細不明な其の余の旁国」と書いたことは、十分に考えられることです。

その為に、この地の国名は『魏志倭人伝』には記されていません。

だが我々日本人にとって、倭国=女王国連合は地元であり、

これ等の地の現在の地名は解ります。

それが大野郡、海部郡、国東郡の三郡です。

この三郡が弥生時代に大野国、海部国、国東国だったと考えると、

この三国を加えることで、女王国連合=倭国の構成国数は丁度三十国となります。

 

以下、首都邪馬台国邪馬台国へ至る道程中の国連続して記される二十一国に、

其の余の某国三国

倭国に敵対する狗奴国投馬国=薩摩国大隅国と日向国

「女王の境界尽きる所」=奴国以北を統治する芦原中国の構成国である、

宗像国、出雲国、女王国の東の海を渡る千余里に在る倭種の国を記入しました。

 

 

実際過去の説では、連続する二十一国が「其の余の旁国」と考えられてきましたが、

【反時計回り連続説】で説明したとおり、連続する二十一国とは、

女王国=邪馬台国より北に在る、戸数・道理が略載可能な国だったのです。

これ等の二十一国は、道理は連続して並べて記すことで一応解るとのことで、

陳寿は略載した積りのようですが、戸数に関しては本当に略されています。

この陳寿の簡略化への強い拘り=省略癖が、『魏志倭人伝』に多くの謎を残したようです。

 

以上、弥生時代に九州北部で勢力を拡大させていた女王国連合=倭国と、

対立する南の狗奴国、投馬国、大隅国、日向国の熊襲・隼人連合、

奴国以北から本州西部、四国にかけて勢力を拡大した芦原中国を地図上に明示し、

当時の倭の勢力圏の全体像を示すことが出来たと考えています。

 

 

いつも応援クリックをありがとう。


歴史ランキング にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

Top