小迫辻原遺跡(改訂版)②

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ここも小迫辻原遺跡の一部のようですが

 

住宅地の中を抜けていきます。

石段を上ると社が見えてきます。

この社は古墳の上に建っています。


この古墳の名前は朝日天神山古墳というそうです。

 

朝日天神山古墳(あさひてんじんやまこふん)は、大分県日田市小迫にある古墳群。朝日天神山古墳群、天満古墳(群)とも呼ばれる。2004年3月30日に大分県の史跡に指定されている。
 

概要
日田盆地北部の通称宮原台地と呼ばれる台地南端の山林と天満社境内にある2基の前方後円墳からなる古墳群である。

1号墳
1号墳は、全長33mで、後円部の直径約20m、高さ約4m、前方部の長さ約13m、幅約16m、高さ約3mの前方後円墳である。周囲には一重の周溝が確認されている。
1号墳からは、1928年(昭和3年)に天満社の社殿が建設された際に、ほう製(中国の鏡を模して日本で製作されたもの)変形五獣鏡、鉄刀、貝製雲珠、鏡板、杏葉、辻金具といった馬具、須恵器、土師器等が出土したほか、水晶製三輪玉が発見されている。水晶製三輪玉は、他では継体天皇陵に比定される今城塚古墳などから発見されているもので、九州では数例の出土があるのみであり、被葬者の社会的地位の高さを示すものと考えられる。
1号墳は、その出土品から、2号墳(6世紀前半築造)に続く時代に築造されたものと推定されている。
2号墳
2号墳は、全長63mで、後円部の直径約336m、高さ約5m、前方部の長さ約27m、幅約38m、高さ約6mの前方後円墳である。墳丘の損傷が著しいが、周囲には二重の周溝が確認されている。日田・玖珠地方最大の前方後円墳であり、大分県内の古墳時代後期の古墳でも最大級のものである。
内部は未調査であるが、1997年からの調査で、周溝から環状把手付き横瓶、大型平底須恵器が出土している。須恵器は埴輪の代用の埴輪壺と考えられ、さきたま古墳群の中の山古墳などで類例が見られる希少な遺物である。
2号墳は、その出土品から、6世紀前半に築造されたものと推定されている。
wikiより

 

この古墳1号墳から出土した水晶製三輪玉は継体天皇陵に比定される今城塚古墳から出土したものと同じでかなり身分の高い人物であったようです。

 

継体天皇と同時代で九州で身分が高い人物というと頭に浮かぶのは「筑紫の君磐井」です。

そういえば磐井が消息を立ったのもここの手前の杷木でした。

 

また日田の日下部氏を祀る神社の名前は石井神社といいます。

この石井神社の名前は「いわい」と読むのではないかと以前御紹介しました。

 

 

まとめとして

この地区は「隋書」にある

 

1,月読尊を多く祀っている。    

2,宝珠を祀る社がある。      

3,古代より鵜飼が行われていた。

4,倭国の王府の伝承がある。  

5,阿蘇山が存在する。      

 

それに加えて倭国の紋章である「三階松」の社 宮地嶽神社に挟まれている。

倭国の聖地 麻底良布神社がある。

などから倭の王府があった確率が極めて高い地といえます。

 

そしてその地は三世紀と六~七世紀の宝と遺跡が同時に発見され「隋書」にあるように

 

邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である。

 

「後漢書」「魏志倭人伝」にある邪馬台国と同じ場所である可能性が高いのも否定できません。

今回の大雨でこの地区は甚大な被害を受けたことをお見舞い申し上げます。


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