山口素堂 第二次『宗長庵記』素堂60才 元禄十四年(1701) 

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山口素堂 第二次『宗長庵記』素堂60才 元禄十四年(1701) 


 


第二次『宗長庵記』


仲秋十二、島田の騨にいたる。


日はまだ高けれど名にしほふ大井川の水にさへられ、


はからざるに此所に旅牒す。


つたへ聞、


宗長居士は此郷より出て名をふるふ。


五条義助といへる鍛士の祖族たりとぞ。


母なん藤原氏なりけり。


偶如舟老人かへらぬ昔を慕ひて一草庵をしつらふ。


名づけて長休と號し、


故墳となして往来の騒客をとどむ。


しかはあれど、


牽強するにはあらず。


其風姿をしのびよれるものは、


親のこときし子の如くす。


 


  ふらばふれ牛は牛づれ秋のくれ


 


舟翁、


何がしの両三子にかの記を乞求めて一軸とし、


愛敬してしばらくも身をはなたず。


予ひそかにあるじをたばかりて見るに、


流石にほろき難波江のよしともあしともいふべき事ならぬ。


只祇長の風がに徳ある事を感じて涙を落すのみ。


 


  そよ更にむかしえをうゑて忍ぶ草


 


  朝霧や嚥朝寝にて柴の庵


 


  そよ更にむかしえを植て忍ぶ草  素堂


   石蕗に色つく庵の巻筆     如舟


  来年と捨ておく月の晴でて    乙州


 


  ささいからお宿申や燕子花    如舟


  衣更せす夜着も借るまし     素堂



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