H.036【真田丸】十五

 真田昌幸と信繁の父子は、上田城に戻ると、徳川秀忠の率いる、東軍との決戦に挑む。

 第二次上田合戦である。その回のタイトルが、「勝負」である点が、カッコイイ。

 三万八千の徳川軍に対し、真田軍は、三千。その兵力差は、十倍以上。まさに、「勝負」である。

 なお、第一次上田合戦は、八千の徳川軍に対して、真田軍は、二千であったため、兵力差は、四倍程度に過ぎなかった。籠城戦の場合、攻める側は、守る側の十倍の兵力を必要とするため、第一次上田合戦の完勝は、必然であったとも言える。

 しかし、今回は、違った。

 十倍以上の兵力差の徳川軍に対し、真田軍は、初戦で勝利を治める。

 本作では、徳川秀忠が、総攻めを行おうとするが、家康から、急ぎ、本隊と合流するようとの命令が届いたため、秀忠は、上田城を諦め、西に向かっている。

 即ち、徳川軍と真田軍の決戦は行われなかったのである。

 そして、昌幸と信繁は、関ケ原の戦いが、わずか、一日で終わってしまい、三成が敗れ、家康が、勝利したことを知る。

 昌幸は、東軍と西軍の戦いが長引くことで、再び、乱世が訪れ、武田の旧領を回復する機会を伺っていたため、戦いが一日で終わったことに、愕然とする。

 2009年の『天地人』の主人公、直江兼続、2014年の『軍師官兵衛』の主人公、黒田官兵衛も、各々の作品において、昌幸と同様に、東軍と西軍、即ち、徳川方と豊臣方との戦いが、長く続くと考えていたために、西軍が、わずか、一日で、敗北したことに、愕然としていた。

 実は、徳川家康を主人公とする、1983年の『徳川家康』、2000年の『葵~徳川三代』を除けば、大河ドラマの歴史上、関ケ原の戦いに、実際に参加したのは、2006年の『功名が辻』の主人公、山内一豊のみである。

 女性の「江」を除けば、関ケ原の戦いの時点で、生きている主人公である、伊達政宗、直江兼続は奥州、黒田官兵衛は九州にいた。

 改めて、顔触れを見れば、関ケ原の戦いに参加した、武将の中で、大河ドラマの主人公として、相応しい人物は、皆無に等しい。

 石田三成、宇喜多秀家、長曾我部盛親、福島正則などの場合、全五十話の作品を作るのは、難しい。

 敢えて、候補者を挙げるとすれば、藤堂高虎、島津義弘の二人しか、思いつかないが、彼等でさえ、大河ドラマの主人公には、少々、役不足かもしれない。

 家康は、信幸の必死の嘆願にも関わらず、昌幸と信繁を、死罪にしようとする。

 その信幸と共に、家康に二人の助命嘆願を願い出たのは、信幸の舅、本多忠勝であった。忠勝は、登場当初こそ、恐ろしい舅として、描かれていたが、物語が進むに連れ、真田を理解し、助力している。

 家康による、西軍の大名達の処罰によって、宇喜多秀家は流罪となり、毛利輝元と上杉景勝は、所領を約四分の一に減封される。筆者は、常に疑問に思っていたが、何故、西軍の大名は、家康の処罰を受け入れたのか。

 特に、毛利の場合は、吉川広家が、家康に内通し、合戦に参加せず、東軍勝利の要因を作った。

 しかし、家康は、戦後、毛利輝元が、西軍の総大将になったことを理由に毛利家を改易しようとした。

 吉川広家は、完全に騙されたのである。

 家康は、百十数万石の毛利家を改易し、吉川広家に、長門・周防の二カ国、三十数万石を与え、広家の功績に報いようとした。

 当然、広家は、それを辞退し、毛利家は、長門・周防の二カ国に、押し込められた。

 広家を調略した、黒田長政は、結果的に、約束を違えてしまったために、広家に謝罪している。

 長政は、関ケ原の戦いの戦功によって、五十数万石の大大名になり、広家に対し、自身の所領を分け与えようとまでしているのである。

 家康の裏切りは、明白であった。



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