素堂 芭蕉庵十三夜

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**芭蕉庵十三夜**
ばせをの庵に月をもとあそびて、只つきをいふ。越の人あり、つくしの僧あり、まことに浮艸のこへるがごとし。あるじも浮雲流水の身として、石山のほたたるにさまよひ、さらしなの月にうそぶきて庵にかへる。いまだいくかもあらず。菊に月にもよほされて、吟身いそがしひ哉。花月も此為に暇あらじ。おもふに今宵を賞する事、みつればあふるゝの悔あればなり。中華の詩人わすれたるににたり。ましてくだらしらぎにしらず、我が国の風月にとめるなるべし。
もろこしの富士にあらばけふの月見せよ  素堂
かけふた夜たらぬ程照月見哉            杉風
後の月たとへば宇治の巻ならん           越人
あかつきの闇もゆかりや十三夜          友
行先へ文やるはての月見哉       岱山
後の月名にも我名は似ざりけり     路通
我身には木魚に似たる月見哉    僧 宗波
十三夜まだ宵ながら最中哉       石菊
木曾の痩もまだなをらぬに後の月   はせを
 
仲秋の月はさらしなの里、姨捨山になぐさめかねて、猶あはれさのみにもはなれずながら、長月十三夜になりぬ。
今宵は宇多のみかどのはじめてみことのりをもて、世に名月とみはやし、後の月あるは二夜の月などいふめる。
是才士文人の風雅をくはうるなるや。閑人のもてあそぶべきものといひ、且は山野の旅寐もわすれがたうて人々をまねき、瓢を敲き峯のさゝぐりを白鴉と誇る。隣家の素翁、丈山老人の、一輪いなだ二部粥といふ唐歌は、此夜折にふれたりとたづさへ来れるを壁の上にかけて、草の庵のもてなしとす。狂客なにがししらゝ吹上とかたり出けれは、月もひときははへあるやうにて、中々ゆかしきあそびなりけり。

貞享五戊辰菊月中旬   蚊足著

物しりに心とひたし後の月    蚊足


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