柳沢吉保の家臣、素龍は芭蕉の奥の細道を清書した

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柏木素龍&芭蕉&柳沢吉保


 「復刻研究文献」小ばなし、風律稿


素龍は京の人にて、歌学は季吟の弟新玉津島正立の弟子なり。手跡は上代様なり。江戸に来りて客居す。或時坡翁、深川の芭蕉庵へ行けるに、翁云ふ素龍といふ人京より下り被申し由、聞き及びたる人なり。逢度候間聞き合せ可給と申さる。夫よりあれこれ聞き合せたるに旅宿屋に居られしを尋ね行て逢ふ。芭蕉庵逢申度由被頼候間、深川の庵へ御同道申度よしいひしに、芭蕉庵はこの方にも聞き及び候へば、幸いの事にて候間、御同道参可申由にて被参候、夫より三年程庵に居被申候、其の時分翁此素龍の手を習ひ被申候。予また此の手跡を習ひ被申候なり。其後翁被申には若き人、久々隙にて有之町々にて講釈など可然ことゝ被申候故同道致し帰り、坡師弟書店なればこの方にて歌書講釈など有候。正立門人故季吟師へも出入り被、殊の外気に入り、方々代講に被参候、大村侯など御懇意にて候処、柳沢(吉保)侯へお抱へにて被参頃は、柏木儀左衛門と申し候、後に藤之丞と申し候。大村侯よりお世話にて道具など調集被申し候。「奥の細道」「炭俵集」は素龍の筆なり。


 ・・坡師語・・


 


【註】完成原稿が能書家柏木素龍の手で清書されたのは、芭蕉が亡くなる年の、元禄七年四月。素龍清書本は、現在も福井県敦賀市の西村家に伝わっている。


【註】~歿、正徳6年(1716)。元禄5年江戸下向。


阿波徳島の人。通称は、儀左衛門。第五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保に仕えた。能書家で、芭蕉の『奥の細道』 の曾良本を基にして、「柿衛本」「西村本」を清書したことで有名。発句も『炭俵』に入集している。


素龍の代表作


障子ごし月のなびかす柳かな


中下もそれ相應の花見かな


青雲や舟ながしやる子規


帷子のしたぬぎ懸る袷かな


さみだれやとなりへ懸る丸木橋


明月や不二みゆかとするが町


鹿のふむ跡や硯の躬恒形


江の舟や曲突にとまる雪の鷺


爪取て心やさしや年ごもり(『炭俵』)


姫百合や上よりさがる蜘蛛の糸(『續猿蓑』)


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