H.036【真田丸】十四

 沼田裁定は、結果的に、北条との戦を避けようとする、石田三成の思惑によって、北条の勝利に終わり、沼田領は、真田家から取り上げられる。

 しかし、信繁の若いながらの堂々たる論陣は、相手の板部岡のみならず、本多正信をも感心させ、信繁は、二人に認められることになる。
 
 昌幸は、秀吉に臣従した後、徳川家康の与力大名になることを命じられる。

 そして、徳川家康は、本多忠勝の娘の稲を養女とし、信繁の兄の信幸に嫁がせることで、真田家と徳川家は縁組する。信幸には、既に、正室のこうがいたが、離縁させられ、稲が、信幸の正室となる。
 
 こうは、史上、清音院と呼ばれる、昌幸の長兄、信綱の娘で、真田幸隆の直系の孫であった。

 長篠の戦いにおける、信綱の戦死後、三男の昌幸が、真田家の家督を継承したが、自身の嫡男の信幸の家督継承に正統性を持たせるため、従兄弟である、こうと結婚させたのであろう。
 
 信幸は、こうを侍女とし、後にこうとの間に息子が生まれ、側室とする。こ

 うは、正室の時期は、病弱で、寝たままの状態が多かったが、何故か、侍女になった後は、元気になる。

 稲は、当初は、真田家に馴染もうとせず、信幸に心を許さなかったが、息子が生まれると、真田家の一員となり、信幸との関係も良好になる。

 こうの息子は、わずかに、稲の息子より、先に生まれた。
 
 信幸は、稲の父の本多忠勝を恐れており、元正室のこうが、妊娠したことを言い出せずにいた。
 
 しかし、忠勝は、信幸が、こうを捨てなかったのは、情けが深い証拠と、逆に信幸を認める。

 そして、こうの息子を、自分の孫と同様に可愛がっている。
 
 真田家は、兄の信幸が、徳川家康の重臣、本多忠勝の娘婿となり、弟の信繁が、三成の盟友、大谷吉継の娘婿となる。真田家が、豊臣方と徳川方とに分れて、戦わざるを得なくなる、宿命は、既に、秀吉の生前から、その種が蒔かれていたのである。
 
 秀吉の死後、物語は、一気に関ケ原の戦いへと突入する。
 
 秀吉は、生前、耄碌した状態の時に、石田三成に、徳川家康を殺せと命じていた。

 昌幸が、三成から、その相談を持ち掛けられたため、出浦昌相が、家康を暗殺しようとするが、失敗している。
 
 三成は、秀吉の死後も、家康の殺害を諦めず、秀吉の定めを次々を破る、家康を糾弾し、遂に、徳川の邸宅を襲撃しようとする。

 しかし、秀吉の子飼の武将達は、三成を嫌っていたため、逆に、家康を守ろうと、徳川の邸宅に集まる。三成に味方する者は、殆ど、いなかった。
 
 家康討伐を諦められない、三成を抑えたのは、上杉景勝であった。

 景勝は、家康を倒すことを、三成に誓う。

 三成は、家康討伐を断念するが、前田利家の死後、三成を嫌う、豊臣恩顧の七人の武将達が、三成の襲撃を企てる。家康の仲裁により、三成襲撃は未遂に終わるが、三成は、奉行の職を辞して、所領の佐和山へと蟄居せざるを得なかった。
 
 そして、会津に戻っていた、上杉景勝と直江兼続が、「直江状」を、家康へと送り付けたことで、家康は、会津征伐の軍を起こす。

 真田家の昌幸、信幸、信繁は、家康に従って、会津へと向かう。

 その間隙を突いて、三成は挙兵し、諸大名に家康討伐の決起を促した。
 
 実は、昌幸は、家康に従ったふりをしながら、時期を見て、上杉に寝返り、家康の首を取ろうと目論んでいた。しかし、三成の挙兵によって、会津征伐は中止となるため、その機会は失われる。

 下野国の犬伏において、昌幸、信幸、信繁は、議論を尽くした結果、昌幸と信繁は、三成に味方し、信幸は、家康に従うことを決める。犬伏の別れは、本作、屈指の名場面である。



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