松坂城の紹介7 御城番屋敷から表門 最終回

今日は御城番屋敷の内部紹介からです。

 

一番端のこのお宅が公開されています。

左に式台・右に日常の玄関が見えます。長屋とはいえ立派な式台がある

のはすごいですね。1戸の石高は40石となっています。1戸当たりの間口

は5間(約9m)で50坪です。彦根藩の足軽は一戸建で間口は同じでした。

しかし、こんな立派な式台はありませんでした。そのリンクはここです。

彦根藩の場合は10石ほどしかありませんでしたので、その2倍(年貢は

40石の約半分20石として)もの収入がありました。現在の年収にすると

約150万円ほどになります。当時は家賃・税金・保険料・電気・ガスなど

の支出がないうえに、副業で畑・内職などが出来ました。1石=150kg、

3000kgのお米は、現代では10kgを5000円としたら、5000×300

=150万円と計算しました。

 

建設された当時の間取り図です。

 

 

 

生け垣の門を入ると

手前が式台で、奥が床の間付の8畳和室になります。

 

玄関を中に入ると

土間があり、左側に内玄関があります。

さらにこの奥は

竈などのある土間になります。右側の部屋は改造で付け増した部屋で

、江戸時代は燐家となっていました。

左側の部屋は

手前が間取り図の後6畳となります。

この奥の間は

間取り図の後8畳の間です。裃が掛けてあります。

裃は普段、武士以外は着用出来ないものでした。

 

この右側は

縁側と洗濯物を干したりする庭があります。

この右側は

こんな感じです。

 

 

後8畳の左側は

前8畳の部屋です。縁側の先には小さい庭があります。

 

床の間のある前8畳の部屋です。床柱の右側は押入れでしたが、

違い棚のある本床に改造されています。

 

縁側の先の庭です。

 

生け垣の門方向を見たところです。

 

後6畳から前6畳の間を見たところです。式台が見えます。

 

前8畳と左側の前6畳を見たところです。

 

角屋に当たる所です。お手洗いなどに改造されています。

 

裏に出たところから撮影しました。

 

土間の上は炭などを置く倉庫でした。左側は管理人室です。

 

二の丸の外側を回り、表門に戻りました。

⑰の辺りから表門①へ歩きます。

初めの角では

この辺りは二の丸の石垣ですが、打込み接ぎになっています。

陣屋が二の丸にあったので、蒲生氏郷時代の野図積みのもの

から積み直したのでしょう。

この反対側の民家は

 

 

さらに歩くと

左側に入ると

江戸時代には、この石垣上の二の丸に紀州藩の陣屋がありました。

 

江戸時代の堀の位置図です。

 

埋め戻された堀跡の細い溝が見えます。(グーグルより引用)

 

大手門跡そばにある堀跡の溝です。(グーグルストリートビューより引用)

ここより右側(城側)に、約25m巾程の堀が江戸時代にはありました。

 

さらに二の丸石垣の周りを歩くと

①位置の表門跡に到着しました。

 

松坂城表門を撮影した、明治初期の古写真です。

瓦葺の二層櫓門でした。

 

これで松坂城の紹介を終わります。明日からは桂離宮の紹介です。

 

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