松坂城の紹介4  本丸上段から天守台・きたい丸

昨日の続きです。

今日は本丸上段からです。

昨日最後の本丸井戸の写真が見えていませんでした。

エディタのアップデートで、表示が少し変です。

 

本丸の井戸です。

 

⑪から見た金ノ間櫓跡です。ここには2層の櫓があり、

台所棟と付属舎がありました。17世紀中頃に破損し

ています。

 

現地にある案内図です。(上が北)

 

石段を上がると、金ノ間櫓跡には松坂開府の碑があります。

松坂開府の碑です。裏面には蒲生氏郷に始まり、

紀州藩領となった履歴が書いてあります。

1950年に建てられました。

 

この右側の石段側は

本丸上段の向こう側に天守台があります。

この右側は

本丸上段とその向こう側の、石垣の上は多門櫓がありました。

この金ノ間櫓跡を降りて天守台に行きます。

 

本丸上段です。向こう側に天守台があります。

 

天守台の登り口です。蒲生氏郷時代の野図積み石垣です。

氏郷は石材が不足したので、古墳の石なども利用しています。

 

⑬の天守台の上に上がり撮影しました。本丸上段とその向こう側

に金ノ間櫓跡が見えます。天守上段には蒲生氏郷時代に御殿が

ありました。

少し左にカメラを回すと

手前は天守付櫓跡です。その向こう側に敵見櫓跡と多聞櫓跡が見えます。

 

上が北です。

 

天守台で撮影しました。ここからの見晴らしは木々で

さえぎられて良くありません。

 

蒲生氏郷はここに3層の望楼型天守を建てました。

蒲生氏郷はこの後、秀吉により、1590年(天正18

年)に、氏郷は小田原征伐の働きにより、藤堂高虎

の推薦もあり、陸奥国黒川に60万石の大封を得て、

伊達政宗の押さえとして、元は政宗の領地であった

会津黒川城に栄転します。藤堂高虎は断っています。

氏郷は地名を黒川から縁起の良い若松に改名しま

した。氏郷故郷の近江日野の鎮守社にある、若松の

という名を使ったとか、松坂の松は縁起がいいの

で使用したともいいます。会津若松の始まりです。

 松坂は結局1619年に紀州藩領となり、城代が置

かれました。天守は1644年7月29日の台風で倒壊

します。以後は天守台のみしかありません。

 

この後、天守台よりきたい丸に移動しました。

天守台横を通りきたい丸に移動しました。

 

 

きたい丸の梅林です。

 

きたい丸の隅櫓跡です。

 

きたい丸です。

 

きたい丸の⑥の所に行きました。

⑥から見た隅櫓跡です。

 

上が北です。

⑥からは展望がきくので、

⑥にあった鳥瞰図です。

 

この日はガスっていて余り見えませんでした。

 

⑥から石垣の上を⑮まで移動しました。

手前が⑥の隅櫓跡です。

石垣の上の塀跡を移動しました。

 

 

 

先のほうにある櫓跡が本居宣長記念館横の隅櫓跡です。

この土塀跡から下を見ると

深い谷になっています。手前は石垣の石です。

 

上が北です。

 

屋根が見えますが、あれが本居宣長記念館の屋根です。

 

本居宣長記念館です。宣長とその一門の遺品が

約16000点収蔵されています。

 

石垣上の塀跡の、先にある櫓跡が地図⑮です。

右側が本居宣長記念館で、左側がきたい丸の梅林です。

 

今日はここまでです。明日に続きます。

 

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