顕宗仁賢神社(けんそうにんけんじんじゃ、神戸市西区押部谷町)

兵庫県神戸市西区押部谷町(おしべだにちょう)木津(きづ)569
柴垣の宮、木津の宮。

祭神  顕宗天皇(23代)、
   仁賢天皇(24代)、
   大日孁命(おおひるめのみこと、天照大神)。

創建  5世紀末に仁賢天皇の勅により創建。

 第17代履中天皇(5世紀前半)の孫にあたる弘計(ヲケ、23代顕宗天皇)と億計(オケ、24代仁賢天皇)は、父の市辺押盤皇子(いちのべのおしわのみこ)が皇位継承の紛争に巻き込まれ、従弟の21代雄略天皇(432年-479年)に滅ぼされたので、避難のために播磨国赤石郡(明石郡)の縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)である忍海部造細目(おしんべのみやつこほそめ)の館に、身分を隠して使用人となって匿われた。
 細目とか天目一箇(あめのまひとつ)などの名は、踏鞴製鉄、鍛冶を職業とする者の名である。また、押部谷(おしべだに)の地名由来は忍海部(おしんべ)だと云われている。

 三木市志染町窟屋(いわや)に「志染の石室(しじみのいわむろ)」と呼ばれる岩穴があり、二人の王子が隠れたと云う伝説がある。
 石室の湧水には「ひかり藻」が生息しているので、春にはひかり藻が繁殖し、光を反射して水が金色に光ることから「窟屋の金水(いわやのきんすい)」とも呼ばれていた。しかし、周囲の開発の影響や気候の変動でひかり藻が枯れることもある。

 志染川に沿って御坂神社(みさかじんじゃ)が鎮座、志染の氏神になっている。2015年1月16日投稿の「御坂神社」をご参照ください。
 赤のアイコンが顕宗仁賢神社、黄が志染の石屋、青が御坂神社。
[#PARTS|USER|87859#]

 二人の王子は身分を悟られないように言葉の不自由なふりをして、使用人として働いた。やがて、479年に雄略天皇が崩御、皇太子が即位して22代清寧天皇となったが、清寧天皇には皇子がないため皇位継承者を探していた。
 播磨国の司(みこともち)山部連の遠祖・伊与来目部小楯(いよのくめべのおたて)が、新嘗の供物を整える為に細目の館に来たところ、新築祝いの祝宴をしていた。小楯は、この席で歌に託して身分を明らかにした二人の王子に驚き、仮宮を造り二王子の御殿とした。これが「柴垣の宮」である。
 小楯が清寧天皇に詳細を報告すると、天皇は大いに喜び、直ちに二王子を都の磐余(いわれ)に迎えた。

 清寧天皇が484年に崩御、485年に顕宗天皇が即位、488年に兄の仁賢天皇が即位した。この二王子ゆかりの「柴垣の宮」跡に当社が創建された。

 清寧天皇崩御の後、弘計(ヲケ、顕宗天皇)が弟だと云うことで直ぐには即位しなかったので、暫くの間、叔母の飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)が職務を執ったので、飯豊天皇とも呼ばれる。
 飯豊青皇女は様々な呼び方があるが、忍海部女王(おしぬみべのひめみこ)と云う呼び方があり、「忍海、おしぬみ」は葛城の中の製鉄・鍛冶の地名で、飯豊青皇女の本拠地である。忍海部(おしぬみべ)は飯豊青皇女の部民(べみん、私有民)であった。
 別の説では、飯豊青皇女の姪である飯豊女王(いいどよのひめみこ)と取り違えているとも云う。

 忍海部造細目は飯豊青皇女の配下にあって押部谷(神戸市西区)の部民を統率していたと考えられる。そして縮見屯倉首であるので、志染村(しじみむら、三木市)の屯倉(みやけ、朝廷の直轄地)の管理人でもあった。神戸市西区押部谷町の北に三木市志染町がある。

 当社は細目氏が宮司を務めていたが、細目氏が明石川下流域まで、そして西へと顕宗仁賢神社を広めたようだ。神戸市西区や明石市には顕宗仁賢神社・宗賢神社が多く鎮座している。

 飯豊青皇女と細目の関係により、細目の家で二王子は匿われたと考えられ、「身分を隠して使用人として働いた」と云うのは「逃避行の苦労物語」を強調するために挿入したのかもしれない。

 社号標と石の鳥居、後ろはシブレ山で、東に六甲国際ゴルフ倶楽部がある。サントリーレディスオープンで有名、今年の6月は宮里藍選手が日本で最後の試合だと云うので大フィーバーになった。
諸見里しのぶ選手や上田桃子選手は六甲国際ゴルフ倶楽部の江連忠ゴルフアカデミーに所属していた。
d0287413_14235491.jpg

   階段の上に大きな檜(ヒノキ)が見える。市民の木として親しまれている。
d0287413_1424919.jpg

   拝殿
d0287413_14242190.jpg

   拝殿の絵馬、二王子の働く様子と、身分を明かして都へ戻る様子。
d0287413_14243461.jpg

d0287413_14244916.jpg

   本殿
d0287413_1425383.jpg

   本殿右に天照皇大神社と厄神社
d0287413_14251559.jpg

  本殿背後に手前から権現神社、愛宕神社、若宮八幡社、大歳神社、
  三十八社大明神(子授けの神)、大山祇神社、稲荷神社。
d0287413_1426491.jpg

  本殿左に杵ノ宮神社
d0287413_14261929.jpg

 奈良県葛城市の「角刺神社」は飯豊女王の「角刺宮」跡と伝えられ境内に飯豊王女が鏡として使ったという池がある。
 2014年11月15日投稿の「飯豊天皇」、11月19日投稿の「角刺神社と飯豊天皇陵」をご参照ください。
Top