田丸城(続日本100名城 )の紹介5 三の丸奥書院 最終回

昨日の続きです。

今日は大手門入って右手の、久野家代官(城代)屋敷跡に

保存された、元三の丸奥書院の紹介です。

 

ニノ門の方に降りてきました。

ニノ門枡形址です。町役場の建物が見えます。

 

お城広場に復元された、三の丸奥書院に行きます。(グーグルより引用)

 

これが三の丸にあった奥書院です。

 

江戸時代初期に久野氏3代目の久野和泉守宗俊の時代に、

現在の玉城中学校玄関前庭付近に造営された、三の丸の

奥書院の一部を復元したものです。

明治の初めに競売で、隣町の豪農に払い下げられました。

農家の住宅として1990年まで使用されましたが、改築に

伴い玉城町が譲り受けて、ここに復元しました。

外観は農家風に改造されていますが、内部は上段の間や

下段控えの間などがあり、田丸城建築物で現存する貴重

な御書院遺構です。

 

解説板です。間取り図がほとんど見えません。

アルミ製の解説板は腐食で、すぐにダメになるので、

絶対にやめて欲しいですね。

 

建物の右に回り込むと

勝手口があります。

 

建物の左側に回り込むと

切り取った感じになっています。

玄関に近づくと

 

中に入ると

ここから上がって、奥の間が下段控えの間です。

さらに右奥に上段の間があります。

 

下段控えの間から上段の間を見たところです。段差があります。

書院造りで花頭窓があります。

 

 

 

左がガイドさんです。

この木材はサワラの木で出来ているので、水に強く

長持ちするそうです。タダで譲り受けたこの書院です

が、移築復元に2000万円かかったそうです。

 

床の間も本床になっています。

和歌山城住まいの久野のお殿様が、

一代当たり数回ここに来たそうです。

 

本床の部分です。

 

これは勝手口の方です。

 

玄関の前庭には歌碑がありました。

この歌碑は久野家家臣だった、江戸時代後期の茶人である、

金森得水(1786-1865)の歌碑です。

 

最後に、この書院の裏は

お城広場になっています。江戸時代は久野家の

城代屋敷だった所です。久野家は付家老で紀州

藩では3番目に大きい石高で、1万石でした。

 

これで田丸城の紹介を終わります。明日からは松坂城の紹介です。

ただし、明日は桂離宮の見学に行くので、UPが少し遅れるかも知れません。

 

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