田丸城(続日本100名城 )の紹介4 本丸と二の丸

今日は10月4日のお月見なので、月の写真を撮影しました。

ただし、満月は今週の金曜日だそうです。

三脚を使い光学60倍で撮影しました。露出補正は-0.7です。

 

 

昨日の続きです。

今日は本丸と二の丸です。

本丸枡形を入ると

本丸跡です。樹木で見え難いですが、天守台の石垣が見えます。

 

現地の案内図です。

 

⑬から天守台を見たところです。

近づきます。

 

天守台です。

 

⑭から見た天守台です。石段は後世広げられています。

石段を上ると

天守の地階入口です。

 

天正三年(1575年)に、信長次男の織田信雄により、

八間四方(約14.5m四方)・高さ九間(16.2m)の

三層の天守が出来ました。しかし天正八年(1580年)

に、金庫番の者がお金を横領したのがばれると思い、

本丸などに火をつけて炎上させました。

その後、田丸直息と稲葉城主二代の間に再建された

と推定されています。しかし、慶安二年(1649年)に

暴風雨のために崩落しました。その後は天主台のみ

しかありません。

 

右が北です。

 

天守台の⑮から東の三の丸(現在玉城中学)とその向こう(約6km先)は

伊勢神宮の森です。

 

グーグルより引用の地図です。宮川河口には

東国経営の拠点だった、大湊港がありました。

南北朝時代の初代城主である、北畠親房は

この伊勢神宮近くにあり、歴史への思いを表

した、著書の「神皇正統記」を書いています。

 

⑯から見た北の丸です。

 

⑰から見た天守跡の天守台です。

 


⑱から見た穀倉地帯です。

 

⑰から見た本丸です。

カメラを少し右に向けると

⑰から見た本丸です。

 

次に、二の丸の方に行きました。

 

⑬辺りから見た二の丸方向です。残念ながら通行禁止です。

なので、左の石垣の上⑲に移動しました。

 

右が北の地図です。

 

ここで江戸時代の二の丸・三の丸への行き方です。

 

現在地にあった地図ですが、江戸時代は中学の運動場

辺りに坂があり、そこから三の丸や二の丸に行けたよう

です。現在は運動場造成で平地にされたのが残念です。

 

上の地図⑤の辺りから④方向の写真です。

この辺りは坂道で三の丸・二の丸に通じていました。

埋め立てにより、この崖の上には運動場が造られて

います。

 

広い運動場が造成されて平地にされました。

登城してきたピンクの線の道は、玉城中学校

の駐車場に行く車道です。

 

話を二の丸の方に戻します。

 

⑲の石垣の上に上った所です。

二の丸方向を見ると

通路の向こうが二の丸です。富士見門があったので、

前方に見える石垣の上から、東方向が見えるので、

富士山が見えたのでしょう。

 

カメラを少し右に向けると

本丸から二の丸への通路が見えます。

 

今日は「ここまでです。明日は三之丸御殿の書院紹介です。

 

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