素堂 山田宗偏『利休茶道具』 の序文を草す

素堂二件 朝倉治彦氏著 一部加筆

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朝倉 治彦. 公開日 2010/08 /10. 本文PDFプレビュー. 本文PDF [282K]. 抄録. 本文PDF [282K]. Copyright © 俳文学会.による。
   一
 最近、山田宗徧(偏)の著書を読まねばならぬ必要があって、上野図書館にあるものを一見した所、『利休茶道具』(大本二冊、図書館本刊記なし)に山口素堂が序文を与えているのを知った。序文中に『喫茶の友』と言う文字が見える。宗偏は宗偏流の開祖で、千宗旦に学んで、利休伝来の四方釜を授けられたので四方庵と号した人で、明暦元年(1655)三州吉田の小笠原忠知(後年唐津藩主となった小笠原家)の茶頭となり、元禄十年(1697)致して、江戸に出て、本所二丁目に茶室を構えた。(素堂が)宗偏の書に序文を書いているという事は、簡単なる関係ではない筈で、素堂の茶道方面をこの辺りが探りを入れてみる緒になるのではなかろうか。此の序文は素堂の自筆坂下と目されるが、二□(不明)の印の内の一つは、未だ読めていない。「壬午夷則」は元禄十五年七月である。
 
世雖遊芸者礼無点茶之交我聞礼始於飲食ヨリ蓋拗地而貯飲食モテ之時其理既備而後礼儀三百威儀三千簠簋籩豆類之類皆自然所之者也
茶器之行於世ニ亦然リ矣熟想強定式法数斯道マタルモ定式法数実斯道ヲ者
爰山田氏宗偏撰茶亭之定数及茶器之図法而示サル後学是応マサニ而筌之意ナル矣宗偏夫何人也ソヤ千氏宗旦老人之高弟而究宗易居士少庵翁所授受之道以テ譲於不審庵之人也雖然以旦老之子孫有ルヲ数多漫不其号旧呼四方庵于茲矣去甲寅之冬応或人之需而界四方庵之額門人之勧茶亭挑不審庵之額且従是号宗易居士四無之不審庵者也
予以喫茶之友此趣聯題スル篇首
元緑壬午夷則上旬濺筆於円荷露
葛村隠素堂
 陽刻   (不明)
                陰刻 素堂
 
    二
次に、『竹堂全集』中に見えるものを事の序に紹介して置く。これは、既に知られているものであるが、一般化してないと思われるので、『竹堂全集』中の素堂の名のはっきり出ている箇所を示す事にする。
 
癸西季夏初十日与二三君子乗舟泛浅草川入川東之小港訪山素堂之隠窟竹径門深荷花池凉松風繞圃瓜茄満畦最長塵外之趣也偶掲竹深荷浄為題分童稚不知衣冠為韻得不字
 
遙問水村幽白無塵暑受隔園蓮三潭挾門竹数畝曾希濂渓賢又引徂徠友琅玕素堂簾 琥珀碧阝焉趣其猷為酔吟独何不曳杖晩風清凉月上東阜 
同韻偶興 
喁白笑言爵禄非受至楽書一棚足食田百畝経史尚古師農漁忘年友納凉竹与荷坐園
茶当酒童稚 龐鼓吹聞夫不松風入素琴高歌天民阜(巻一)
〔注記〕誤写か(他資料と比較)
琥珀碧酒  の字が
趣其猷為  の字が阝焉 
 
素堂山処士美八旬老萱堂至孝乙亥之夏忽然遭喪哀毀日□➜忄勃因作一律以代
藁里日々板輿荷杖随堪嗟忽作北堂悲八旬寿滴斑衣涙三歳添白髩絲竹径猶懐寒筍泣芸窓情癈蓼莪詩看尹子金剛誦妙法蓮花開満池
(『竹堂全集』巻七)
人見竹堂は寛文三年(1663)暮に、葛東に地を賜わったので、地理的には近かつたらしい。上野図書館蔵『竹堂(洞)全集』全十巻は、足利学校へ人見家が寄進したもので、人見家の他の詩文集と共に、明治初年文部省に提出させられたらしい。同じ詩文集は、調度品と共に菩提寺にあるそうであるが、その方は未見である。竹堂の詩文集に見えるのだから、何とかその周囲の人の詩文集中に見出したいと心がけて、林家から人見ト幽・板倉篁軒の詩文稿に迄目をさらしたが、まだ見出す好機に恵まれない。素堂伝の多い不明の部分も、追々と努力に伴なつて、明瞭になってくるという期待を持ちたい。
 
・先生の文の中で、『竹堂』は『竹洞』が正しい
・「山田宗」は「宗」が正しい
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