元興寺 妖怪の昔話と元興寺小塔院

昨日の続きです。

元興寺には妖怪の昔話があります。

 

創建時と現在の元興寺

国宝極楽坊本堂を南側から見た写真です。

 

 世界文化遺産「古都奈良の文化財」は8資産群からなっています。

その中で元興寺は史跡元興寺極楽坊境内と、旧僧坊遺構の国宝

極楽堂(極楽坊本堂)と国宝極楽坊禅室が登録されています。

2010年8月に禅室の一部に使用されている木材が、世界最古の

現役木製建築部材であることが年輪より確認されました。
  元興寺は我国最初の本格的伽藍である飛鳥の飛鳥寺(法興寺)

が、平城遷都の8年後に、新築移建された官大寺元興寺の極一部

にすぎません。平城京の東部外京に興福寺と南北に接した大伽藍

は、長い歴史の間に、現在の元興寺と小塔院跡および元興寺塔跡、

そして、寺に由来する奈良町の町名がかろうじて残されました。

 

現在の観光地図です。ピンクの枠内が創建時の官大寺元興寺です。

 

創建時の官大寺元興寺です。小塔院および元興寺塔

が西と東に分かれてありました。


  この忘れ去られ様とした元興寺が、世界文化遺産に登録されたのは、

多くの人々が地道な調査研究を進め、国庫を中心とした多額の資金が

注入され、保存事業が行われているからです。


  元興寺の伝説としての昔話があります。それは、

元興寺の鬼 元興神(がごぜ) のはなしです。

 

 狂言「清水(しみず)」の中で、太朗冠者が清水寺に

代参するのを断わる理由として、「ガゴゼが出るから恐

ろしくて行けません。」というセリフが今も残っています。
  『大和名所図会』の元興寺の項には、「美しい女(お

んな)を鬼ときく物を、元興寺(がごじ)にかまそというは

寺(てら)の名」という狂歌が載せられています。かまそ

とは口で噛むことです。つまり元興寺は寺の名よりも鬼

の代名詞として浸透していたことが分かります。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より善鬼「元興寺」です。


  元興寺の鬼伝説は、「日本霊異記」の道場法師の話

がその原型とされます。道場法師の父母が雷を助けた

ので、雷が強い子供を授けます。誕生した子供は大力

となって、朝廷の力自慢の者に勝ち、元興寺に出没の

鬼を退治し、寺田の引水に能力を発揮して功績を上げ、

後に立派な道場法師となったという出世話です。ところ

が、この中で鬼退治の場面がクローズアップされ、唱導

師が解釈を加えて、鬼事(春を迎えるおこない)と結び

付けられていきます。元興寺では鬼を退治した道場法

師を神格化して、「八雷神(やおいかづちのかみ)」とか

「元興神」と称し、奇怪な鬼面を伝えています。農耕を

助け、悪鬼を退治し佛法を興隆した鬼神を象徴してい

す。

  古来、鬼は闇に隠れ、人を啖(くら)うものとされて、

悪鬼邪気の象徴であり、追い払わなければ春は来な

いと言います。この鬼を退治するのに元興神のような

鬼を超える鬼神(雷)の存在を創りました。元興神の

ような鬼の御礼や屋根の鬼瓦、「なまはげ」などは、

人が避けなければならない恐ろしいもの(悪鬼)なの

ではなく、悪鬼が畏れる存在(善鬼)でした。
  悪鬼は指が三本しかないとされます。三毒(貪欲・

瞋恚・愚痴)の煩悩を指します。瞋恚(しんい)は怒る

ことです。智慧と慈悲という大切な二本の指を亡失し

たためです。鬼神のように活躍する人は待望したい

ですが、似て非なる悪鬼の人は追い払わねば、春は

来ないと言うことです。  いずれにしても、鬼は誰の

心の中にも存在するものです。智慧と慈悲の心を忘

れないことが大事です。

              

元興寺節分会

 年男・年女によって豆まきを行います。豆まきは鬼を追う神事から始まった

とされます。本来は「福は内」の掛け声でしたが、「鬼は外」が対句として使わ

れるようになりました。
 元興寺は、八雷神や元興神の鬼の発祥地であるので、近年あえて「福は内、

鬼は内」と呼ぶようにしています。つまり「福は家の内に入るように」「鬼は自分

の内から出るように」願っています。

元興寺の護摩焚き

       

次は、元興寺小塔院です。

この観光地図の左下に元興寺小塔院があります。

 

この道が元興寺小塔院西側境目のピンクの線上の道です。

 

 

元興寺小塔院の入口です。

 

解説板です。小塔堂には国宝五重小塔が安置されていたそうです。

 

中に入り坂を登ります。

坂を登りきると

 

休憩所があります。

この右側が

葉っぱで読めませんが「・・・三十三供養」とある供養塔です。

この反対側に

小さくなっていますが、ここが現在の小塔堂です。盗難の危険

がありますので、国宝五重小塔は元興寺の宝物館にあります。

718年(養老2年)に飛鳥の法興寺が、平城京に元興寺として

移された時に出来ました。法相(ほっそう)で有名な学僧の護命

は小塔院僧正とよばれ、834年(承和元年)この小塔院で亡く

なりました。

 

 

次に華厳宗の元興寺(奈良市芝新屋町)です。

 

下側中央にあります。

 

東大寺の末寺で宗派は華厳宗に属する。本尊は十一面観音です。

五重塔跡 は奈良時代から残る創建遺構です。寺伝によると一辺3

丈(約9メートル)総高は24丈(約72メートル)で、東寺五重塔より

大きいと伝えられる超大型塔がありました。1859年(安政6年)に、

観音堂などとともに焼失。現在まで再建されていません。なお総高

が実際には、19丈程度(約57メートル)であったとされるが、それ

でも東寺の五重塔(55メートル)より高いです。 現在、かたわらに

1935年頃再建された小堂が建つのみで、それより古い建物は残

っていません。

五重塔跡です。(ウイッキペディアより引用)

                 (ウイッキペディア・元興寺Webぺージより引用)

 

最後に今日の朝だけですが、ブログ村の歴史ブログで

初めて3位になれました。本当に皆様方のおかげです

ので、心より感謝します。

ブログ村よりの記事です。

 

明日は音声館と奈良町資料館の紹介です。

 

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