甲府市 山口素堂家の墓?の調査

山口素堂の生家とされる魚町山口屋市右衛門の墓所の墓石は合せ墓である。
当主山口屋市右衛門の墓石は無く、藤左衛門の名が見える。
施主山口氏と老母の刻字が見える墓石は後世のもので、素堂の母ではない。家系に見る名前も無く、この墓所を山口素堂関連墓所とは認められない。
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『素堂の墓』
江戸感応寺
甲斐国志に谷中感應寺(今の天王寺)に葬るとあれど墓現存せず。位牌一基を蔵之。小石川区指ケ谷厳浄院に山口黒露の建し碑あり、明和元年申庚の歳四十九の春秋の成より、小碑を黒露建と刻せり。
小石川厳浄院
碑面に長方形の穴にして、碑銘大□只左黒路建碑を刻せしのみ。現に穴の中に「素堂翁之墓」と刻せし小碑をハメあるは、明治三十年頃宇田川と云ふ人の、ものせしときく。甲府尊躰寺に山口家代々の墓あり、素堂の碑ありと聞くけど不詳。明治三十一年五月、内務省属織田定之金原昭善と謀り、本所区原庭町芭蕉山桃青寺内に、時の農相品川弥二郎撰文「素堂治水碑」を建てしが、震災に羅り現存せず。甲府市寿町金比羅境内に「素堂治水碑」あり。明治三十二年八月、甲府平原豊撰文、山田藍々(弘道)篆額、後裔山口伊兵衛建碑す。
谷中天王寺(元感応寺)に位牌一基在蔵す。
 (表)廣山院秋厳素堂居士  (裏)山口今日庵享保元年丙申年八月十五日
  六世 今日庵社中再興之。
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