中仙道の信濃路を歩く「沓掛宿」

  

木曽街道・沓掛ノ駅 平塚原雨中之景     観光地図(旧軽ロータリー~離山足

 

  

旧軽ロータリ右側の道を歩く  旧軽ロータリ内にある  雨に濡れたカラマツ並木道を歩く

     大変に貴重な丸彫立像の▲三面馬頭観世音菩薩「嘉永六年(1853年)」制作

 

  

正面は離山交差点     軽井沢町歴史民俗資料館を観る     市村記念館

(国道18号と合流します)

 

前回(軽井沢宿)より続きます

旧軽井沢ロータリーを直進し、カラマツ並木道の六本辻、軽井沢高校と経て歩くと

離山交差点信号機で国道18号と合流し、しなの鉄道電車をしばらく並行しながら歩く・・・

この日は生憎、小雨雨が降り前方に浅間山が見えると言われていたが残念ながら雨雲で見えない・・・踏切を渡り小川を越えていき信越線のガード下を潜り、もう一度国道に合流する傍に長倉神社(八幡神社)が見える・・・もうここが沓掛宿だ

  

真田一族の家紋「六文銭」をイメージした            長倉神社(八幡神社)

観光列車「ろくもん」が走る

 

  

架空の渡世人「沓掛時次郎」  沓掛時次郎の石碑   境内にある池に流れる清水

 

19番目の宿、沓掛宿(くつかけ)は現在地名を中軽井沢に変えていて

長谷川伸の小説に「沓掛時次郎」という作品があり、沓掛時次郎の石碑が長倉神社境内に

隣接する公園に建てられています(昭和27年)

 

沓掛時次郎の碑

 

千両万両 枉(ま)げない意地も 人情搦(から)めば弱くなる 

浅間三筋の煙りの下で男 沓掛時次郎          長谷川 伸 書

 

と流行歌音譜の一節が書かれています

剣をとっては滅法強いが義理と人情にはからしき弱い・・・男 沓掛時次郎は中山道筋の古い

宿場、火の山浅間山に抱かれた「くつかけ」を背景に長谷川伸(1884-1963)の筆によって

生み出された架空の人物、渡世人です・・・ご存じでしょうか?(知る人は知るですかね?)

 

  

脇本陣「枡屋本店」跡   中軽井沢駅前左側の手打ち生蕎麦老舗「かぎもとや」で

            「ざるそば」を食する・・・なんでも本陣のカギを預かった事由から

            かぎもとや(鍵本屋)というそうです・・江戸時代の沓掛宿場

           街道沿いで商人衆定宿を開業、後に(明治三年頃、蕎麦を売り始める)

 

  

本陣跡 土屋家      脇御本陣 蔦屋跡   上田信金の見て左側の道(旧中山道)

(表札に書かれていてビックリ!)         を歩く、写真右側奥に「草津道道標」がある

 

沓掛の名は難所であり荒天時は人も荷も足止めされて碓氷峠の入り口であることに由来し

両隣の軽井沢宿及び追分宿と共に浅間三宿と呼ばれ栄えました

また草津温泉に向かう分岐路でもあった甲府藩や小諸藩の領有を経て1716年以後は

公儀御料となっています (ウィキペディア参照)

 

  

                  黄壁布屋 土屋作右衛門家   西長倉村道路元標

国道18号の喧騒から離れのどかな旧中山道を歩くあし  

 

  

女街道入口(姫街道)  遠近宮(おちこちのみや)神社   街道脇に馬頭観音が多い

 
女街道入り口の説明板に
江戸時代は女人の出入りは厳重に取り締まったので、女人は関所を避けて裏街道を
通るようになりこれを女街道または姫街道という・・・
広漠たる地蔵ヶ原を横切り和美峠または入山峠を往来した
関所をさけて 女人が多く往来せし 女街道といふは寂しも」  と記されています
(一部、編集割愛しています)
 

  

 お祖母ちゃんと出会う    ここでも馬頭観音    この正面がまた国道18号に合流し

                                     追分宿に入ります

 

右側の写真画像で、まもなく国道18号と合流する手前で農家のあ祖母ちゃんに出会いました

丁度、ごみ袋を持ち・・やっと歩ける状態でしたので朝ごみのお手伝いに両脇にごみ袋を抱え

二度ほどごみ収集所に運びました・・・

大変喜んでくださったので「写真を一枚撮らせて~」とお願いしたら

「こんな婆さんを撮ってどうするの~」だって・・・

いつまでも元気な姿を掲載するの~と言ったら「そうか~ありがとう!」だって

さぁ・・・次の宿場「追分宿」グッド!もまもなくです・・・足取り軽く元気音譜に歩きますあし ・・・ニコニコ

 

 

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