岩村城の紹介1 歴史とか藩主御殿跡

今日から岩村城の紹介です。

 

岩村城の歴史

現在の岩村城太鼓櫓と城門です。

 

鎌倉幕府の征夷大将軍源頼朝の重臣加藤景廉の

長男遠山景朝が砦を築き、その子孫の岩村遠山氏

が戦国時代に至るまでこの地を治めました。

景朝が遠山荘に赴任した鎌倉時代中期頃には平坦部に築かれた砦か、

あるいは城館的なものでした。南北朝時代の太平記には1337年に、

金ヶ崎城の戦いにおいて「美濃霧城遠山三郎」という名が出ています。

なので、鎌倉時代の終わりには遠山氏の美濃霧城がありました。


戦国時代・安土桃山時代
1570年に遠山氏最後の城主は遠山景任でした。甲斐国の武田氏の

家臣で、信濃伊那郡の大島城を拠点に、伊那郡代であった秋山虎繁

(信友)が東濃に侵攻します。上村での戦いに勝利し西進してきたが、

織田信長の武将だった、明智光秀が小田子村でこれを撃退しました。 
1571年12月3日、景任が病没すると信長は5男で幼少の坊丸(織田

勝長)を遠山氏の養子とします。その後見は信長の叔母にあたる女性

(通称はおつやの方)で、幼少の養子に代わって女城主として差配を

振るいました。
1572年10月に、信玄は大軍を率いて遠江の徳川家康を攻撃するた

めに出陣し、同時に再び虎繁に岩村城の攻略を命じます。しかし、城

はこの際も容易に落ちません。

1573年2月末に、秋山虎繁は夫人を説得し妻に迎えたので、翌3月

に岩村城は落城します。
1575年5月21日の長篠の戦いの後、武田勢が弱体化した期に乗じ

信長は岩村城奪還を行ないます。信長は嫡男の信忠を総大将に攻城

戦を行い、5ヶ月にわたる戦闘の後、武田勝頼の後詰が間に合わず、

城は陥落します。開城の際、虎繁の助命が約されていましたが織田方

はこれを翻し、虎繁とおつやの方夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔

となり処刑されました。夫妻の間に出来た子供は落延びたと言います。

織田方の城となった後、河尻秀隆が城主となり城の改造を行い現在の

城郭に近いものになります。
1582年河尻秀隆が甲斐国に移封となると、団忠正の居城となります。

しかし、3ヶ月と経たぬ内に本能寺の変で忠正は戦死します。岩村城は

信濃国から戻った森長可が接収し、長可死後は兄弟の森忠政が引き

継ぎます。森蘭丸も城主になったとパンフレットにありました。

 

森忠政の銅像です。(美少年と言われた森蘭丸の同母弟です)

 

この時の城代となった森氏家老の各務元正は、

この後約17年を費やし今の城郭を完成します。
1584年小牧・長久手の戦いにおいて、徳川家康の元に逃れて

いた明知遠山氏の遠山利景が攻め寄せるも、各務元正により退

けられました。
1599年(慶長4年)豊臣秀吉の死後、森忠政が信濃国松代に

移封となると田丸直昌が入城します。
1600年 関ヶ原の戦いで大阪城番であった直昌は西軍となり、

岩村城は本領復帰を狙う遠山利景に再度攻められました。戦後

田丸氏が改易されると、松平家乗が入城します。彼は大給松平

氏の庶流で十八松平の一つです。三河国加茂郡大給(現在の

愛知県豊田市)を領したことから大給松平家と称しました。
1601年に松平家乗は山上にあった城主居館を城の北西山麓

に移し、城下町を整備しました。

遠山さんが取り戻そうとしましたが果たせませんでした。江戸時

代の名奉行遠山の金さんはこの一族です。

江戸時代
1645年に大給松平氏の上野国館林城転封に伴い、三河国伊保

藩より丹羽氏信が入城します。
1702年に丹羽氏はお家騒動を起こし、越後国高柳藩に転封とな

ります。同年に信濃小諸城より、大給松平氏の松平乗紀が2万石

で移封されました。乗紀は全国で3番目となる藩校・文武所(後の

知新館)を設けました。第4代藩主の、松平乗賢時代の1735年に

1万石の加増を受けて3万石となります。以後、明治維新まで再び

大給松平氏の居城となりました。

 

1718年(享保3年)の岩村城古地図です。①のところにある古地図です。

 

江戸時代の岩村城のジオラマです。

 

明治維新以後
明治2年(1869年)に、最後の藩主である松平乗命は版籍奉還

により岩村藩知事となります。明治4年(1871年)の廃藩置県に

より、岩村藩は廃藩となり、岩村県を経て岐阜県に編入されます。

廃城令により、1873年(明治6年)城は解体され石垣のみとなり

ます。藩主邸は残されますが、1881年(明治14年)に全焼します。

この時期は全国的に藩主邸の全焼が多いですね。

跡地には1972年に岩村町歴史資料館が開館します。2006年

(平成18年)には日本100名城の一つに指定されました。また、

岩村城は標高717mという高所にあり、日本3大山城の1つとも

言われます。

 

今日は江戸時代に藩主御殿があった、麓の辺りの紹介です。

1601年に松平家乗は山上にあった城主居館を、城の北西山麓

の藩主御殿跡に移しました。(グーグルより引用)

 

右端が復元の太鼓櫓です。

 

太鼓櫓の解説板です。木造で本物の城復元を目指しています。

 

復元の城門です。

 

城門と太鼓櫓です。

門の中に入り、内側から撮影すると

内側から撮影した門です。

 

藩校の知新館正門です。もともとは下の地図の所にあった建物です。

 

再度のグーグルマップです。

 

1881年に全焼した藩主御殿跡です。江戸時代に藩主御殿があった所です。

この反対側に岩村歴史資料館があります。

岩村歴史資料館です。ここに岩村城のジオラマがありました。

展示品は撮影禁止でした。裏にお手洗いがありました。

 

藩主御殿跡より外に出て、登城口の方に行きました。

 

登城は右側の坂を登ります。

 

今日はここまでです。この続きは明日UPします。

 

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