第252回:柳川城(名将 立花宗茂が守った難攻不落の水城)

訪問日:2016年4月

柳川城福岡県柳川市にあったお城です。
町中に巡らされた堀以外の遺構はほとんど残っていませんが,市史跡に指定されています。
元々は16世紀前半に蒲池氏が築いたとされますが,16世紀後半の永禄年間の1558-1590に蒲池鑑盛(かまち あきもり)が居城とし整備を進めました。その後,龍造寺氏の持ち城となりますが,豊臣秀吉の九州征伐後の1587年 立花宗茂(たちばなむねしげ)が13万石の大名として入りました。
1600年 関ケ原の戦いで西軍に付くこととなった立花宗茂は柳川城に戻った後に鍋島直茂,加藤清正,黒田如水等に攻めらますが,守り切り説得により開城降伏しました。
所領を失った立花宗茂に代わり柳川に入ったのは田中吉政が32万5千石の大身で筑後を治めることになった吉政は本城の柳川城をさらに大規模なものへと整備し,久留米城福島城といった支城も整備しました。
その後,田中氏が無嗣改易となり,1620年に立花宗茂が10万9200石で再度城主として返り咲き,明治維新まで立花氏が治めるところとなりました。

柳川城/00乗船場  柳川城/01乗船
【左】難攻不落の水城と言われた柳川城の特徴は幾重にも巡らされたです。
内堀以外の堀が町の至る所に良く残っており堀川下りが重要な観光資源となっています。
まずは西鉄柳川駅に近い方の松月乗下船場に向かいました。
【右】早速,川下りの舟に乗ります。

柳川城/マップ
右上の松月乗下船場から左下の六騎前乗下船場までの川下りです。

柳川城/古地図
御花(立花邸)にあった古地図にも多くの堀が描かれています。(向きは左が北)

柳川城/02外堀  柳川城/03堀水門
【左】石組みの水門が見えてきました。
【右】堀水門は堀の水位を調整するために設けられました。

柳川城/04堀2  柳川城/05並蔵
【左】堀水門から城域の中心に向けて進んでいきます。
【右】中堀と外堀の分岐にある並倉。明治時代に造られたレンガ造りの倉です。

柳川城/06船頭  柳川城/07橋の下
【左】船頭さんはえぇ声の女性でした、
【右】時折,橋の下を身をかがめながらくぐります。

柳川城/田中吉政  柳川城/09下船
【左】現在に残る,柳川の町の基礎を作ったと言える田中吉政公像がお出迎え。
関ケ原の戦いの敗戦後に潜伏する石田三成を吉政の手の者が捕えたことで少し有名な人なのです。
【右】六騎前乗下船場に到着です。

柳川城/10立花邸  柳川城/11宗茂鎧
【左】六騎前乗下船場から近い御花(立花邸)に来ました。1697年に建てられた藩主の別邸です。
写真は1910年に迎賓館として建てられた西洋館です。
【右】お花にある立花家史料館立花宗茂着用の鎧がありました。

柳川城/12雷切丸  柳川城/13松濤園
【左】これも資料館にあった雷切丸と呼ばれる刀。
宗茂の養父であり,やはり名将として知られる立花(戸次)道雪の物と伝わり,道雪が木の下で昼寝をしていた時に突然落ちた雷を切ったという伝説が残っています。道雪の足が不自由であったのはその時以来とか。
【右】国の名勝に指定されているお花の庭園。松濤園,残念ながら雨に煙っております。

柳川城/14内堀?  柳川城/15柳城中学校
【左】城の中心部である本丸柳城中学校二の丸柳川高校となっています。内堀は埋められているはずですが,この水路から中学校の校庭辺りにあったはずです。
【右】柳城中学校正門前。天守台とされる高まりに張りぼての天守が!

柳川城/16天守台  柳川城/17本丸
【左】校庭の横に残る天守台。堀を除くとこの付近が唯一の遺構らしい遺構と言えます。
【右】別の角度から天守台。

柳川城/18天守台石垣  柳川城/19天守台上
【左】天守台に登ります。少し石垣が残っています。
【右】天守台の上です。

柳川城/20城碑  柳川城/21石碑
【左】中学校の東側にある城碑
【右】これは灯篭かな?古そうです。

柳川城/22本丸石垣  柳川城/23町中
【左】中学校の東側の筋にも石垣が残っています。
【右】町の中には舟で通っていないがまだまだ残されていますので,歩いてみるのも良いでしょう。

関ヶ原の敗軍の将で一度は浪々と身となりながら奇跡的な復活を遂げた立花宗茂が守った難攻不落の城。波瀾万丈でありながらも数々の武功や人格を将軍 徳川秀忠や幕府も認めたという,まさに名将の名に恥じない人生です。


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